[コメント] コーダ あいのうた(2021/米=仏=カナダ)
主人公ルビー−エミリア・ジョーンズが、林を抜け、高台のようなところへ出るバストショット(ウェストショット?)を見せ、次に唐突にロングショットに引き、池と崖を映す。驚きのあるカッティングなのだ。中盤、デュエット相手のマイルズ−フェルディア・ウォルシュ・ピーロが、いきなりジャンプする演出も矢張り驚きがあるし、丸太を挟んだ二人のシーンも、ルビーの表情がメッチャ可愛い。
ただし、終盤は、ちょっと性急な展開に感じた。V先生−エウヘニオ・デルベスとルビーの関係の描写については、学内コンサートの前に、もうワンシーン必要だろう。V先生が、いつの間にか機嫌を直しているように見える。カットされたシーンがあるように思える。また、コンサート中の、両親と兄の反応の見せ方、そして無音処理にする演出は、私はワザとらしく思う。こゝを良いと感じる観客も多いことは理解するが(人それぞれだろう)。やはり、コンサートの帰りに、家の前で(トラックの荷台で)、父親だけに唄う場面がいい。唄う娘の喉に触る所作がたまらない。
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さて、こゝからは、映画の話ではなくなってしまいますが、一応気になるので書いておきます。まず、本作中に、コーダ(CODA)という言葉の説明が無いのは、別途調べるなりすることを強いる作戦なのでしょうね。英語圏でも一般的な言葉とは思えないので(間違っていたらごめんなさい。ちなみに、私の近親者の聾者は、前から知っている言葉だったとのことです。日本でも聾者の間では使われる言葉のようです)。
あと、日本語字幕に関して非常に気になったのが、「deaf」をことごとく「聾唖者」と訳している点だ(文脈から、耳が聞こえない、などと訳した場面もあるが)。私には、ルビーの父も母も兄も、「聾者」(deaf)であり、「唖者」(mute)ではないように見えた。「deaf」を「聾唖者」(deaf/mute)と訳したのは、字幕翻訳者(古田由紀子)の一存ではなく、会議かなんかで決まったのかも知れないが(より一般的な言葉だから?)、とても違和感がある。また、ラストは「I love you(I really love you)」 のアメリカ手話(指文字)だが、これに字幕を付けないのはどうしてだろう。劇中で既に印象的な使い方をされたわけでもないのだから、字幕をつけない了見が私には分からない。ちなみに「I love you」のアメリカ手話(指文字)は、日本の聾者もよくやるので、私も既知でした(写真に写るときにVサインの代わりにこれをやる)。
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