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[コメント] 女と男の観覧車(2017/米)

劇作家志望の海水浴場監視員ジャスティン・ティンバーレイク=ミッキーによるカメラ目線・モノローグの進行は相変わらず鬱陶しくて、好きになれないのだが、ヴィットリオ・ストラーロの超絶照明には驚愕する。
ゑぎ

 遊園地のネオンサイン等電飾の光の氾濫が、多くのシーンで短い時間間隔の中での照明変化を納得させる理屈になっているのだが、車の中の、ミッキーとジュノー・テンプル=キャロライナのシーンでは、車外は夕立だが、徐々に日がさして日照り雨になっていく。それを車中の窓越しの光で表現する光の扱いには驚く。

 クライマックスは、ラスト近くの、ティンバーレイクがケイト・ウィンスレットの家を訪ねて来てからの、二人のやりとりのシーンだろう。ウィンスレットのモンロー風のドレスの下からベージュの下着がはみ出している風情が常軌を逸した感覚を上手く醸成しているし、二人のオーバーアクトもまあ見応えがあるのだが、多分ステディカムなのだろう、二人を追いかけるシーケンスショットの画面は、多くは寄り過ぎ(もうちょっと引いてほしいと思うレベルのアップ)でフィクスになる。当然カメラオペレーションはストラーロじゃないし、真実は分からないのだが、このシーケンスショットの構図の選択は、アレンのもの(ディレクション)だろうと思うと、矢張り、ストラーロだけでは、映画足りえない、と思えてしまう。同じような演劇的な場面の演出であれば、まだアルトマンの方が映画だ。

 また、焚火・火遊び好きの息子の扱いについては絶妙だ。この子の存在は『ラジオ・デイズ』を思い出させるし、ティンバーレイク以上に、アレンの分身として存在していると思える。そう考えれば、ラスト、ラストカットでも突き放して終わるエンディングは、主要登場人物全員を突き放しているにとどまらず、アレンが自分自身を突き放しているということだろう。

#冒頭から、ジュノー・テンプルの登場と歩行シーンは、『悲しみは空の彼方に』を思い出さずにいられない。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)disjunctive[*] 3819695[*] ぽんしゅう[*] けにろん[*]

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