[コメント] 君の膵臓をたべたい(2017/日)
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原作未読です。
この手の作品は、「ヒロインがどれほど魅力的にスクリーンに映し出されるか」が本筋と同等もしくはそれ以上に重要であるが、その意味では満点と言って良い。その佇まい、声、浜辺美波が具現化した桜良というキャラクターが持つ観客への訴求力は感嘆するレベルにある。
以上!満点!という事で終わる事が出来れば簡単なのだが、本作全体を俯瞰するにストーリーにいくらかの弱みがあり、かつ、鑑賞中にそれを気にしなくて済むようなドライブがかかるわけでもないため、没入が阻害されてしまっていることは指摘しておきたい。
最大の難点は原作にはない12年後の世界の組み込み方である。
少なくとも理の部分で破綻はしていない。桜良の「遺書」に関する改変も、彼女のセリフを生かしたものにしているなど、脚本時点での努力は十分にうかがわれる。
それを認めるのはやぶさかではないが、12年後の世界と「つなぐ」ための描写によって、かなりリアリティ面で難がある設定を入れ込む必要が出てきてしまっており、ラスト近くに「あれ?」となってしまう。
それは、「図書館の中に桜良が置いた「星の王子さま」(「遺書」付き)が12年間全く手つかずで放置されていた」というもの。学校図書館が12年もの間、全く蔵書の入れ替えや棚卸をやらない状態はかなり厳しくはないだろうか。
もう一点。「僕」(北村匠海・小栗旬)は桜良の死後、少なくとも対人関係に関して12年間全く成長していないように見える(桜良は「僕」に恭子(大友花恋・北川景子)と友人になるよう薦めていたがそれを実行していなかったのは何故なのか担保する必要がある)し、恭子はなぜ桜良が「僕」と交友を深めていったのかについて全く説明されないまま12年過ごすことになってしまっていて、ラストの「僕」と恭子が友達になるという部分に関して説得力が欠けてしまっている。
この部分をスッキリさせるのは簡単で、原作通り「遺書」を共病文庫の最後のページに書かせるか、手紙を共病文庫に挟ませて、「僕」と恭子の友人関係を始めさせてしまえば良い。そしてラストは桜良の「君の膵臓をたべたい」ではなく、原作にある「僕」の「そうだね。桜良が待ってる。」だろう。桜良の事を「君」と呼んでいた「僕」が最後に桜良を名前で呼べば「成長」を印象付けることもできる。
原作にない未来を組み込むなら『いま、会いにゆきます』のように少しだけ組み込む策を取る方が良かったのではないかと思う。いろいろ事情はあるのだろうが、もったいなかった。
こういったように最後にしっくりこない印象を残すのがとても残念ではあったが、新たなヒロイン誕生を楽しむのが本作の楽しみ方だと思うので、これはこれで良しとしたい。
長くなってしまったので、一見して気になった事を箇条書きにして終わることにする。
・ GWのヒルトンシーホークに高校生が泊まれるもんですかね?(金銭的に)
・ 桜良の膵臓の病気は結局何?症状をちゃんと説明できる病気はある?
・ 桜良を殺した通り魔を隆弘(桜田通)とするとより大きなショックになったかな
以上でした。
(2017.7.30 シネプラザサントムーン)
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