[コメント] 沈黙 -サイレンス-(2016/米)
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汝の信仰はどうよ! とゴリゴリに押してくる映画。
本作はキリスト教信仰とは何であるか、全く語らない。ただ殉教すれば天国へ行けると信者は語り、神父はそんなんじゃないんだと躊躇しながら、それでも拷問を目前にして否定もできない、という件があるのみである。これは非キリスト教圏外の観客には丁寧でないだろう。
イッセー尾形たちが何も本質的なことを喋らないのも隔靴掻痒だろう。醜女の深情(なぜチャップリンなのか)などと謎かけなどせずに、信仰の後ろに軍隊がついて来るから厭なんだとはっきり云えばよい。
さらに、本作は拷問の映画であるが、なぜこれでグァンタナモでもアレッポでもなく日本が叩かれねばならんのだ、と怨嗟の声をあげる人もなかにはいるだろう。これについては史実だし、今でもやりかねないなあと自戒を込めて観るべきと思うが。
以上3点の違和感はしかし、比較的どうでもいいと思う。我々の周囲にいる「異人さん」たちは我々の理解しがたい信仰を持っていて、その熱心さたるや無信仰な我々の想像を絶するほどなのだ(もちろん、キリスト教に限らない)。これに想いをいたす縁になった、というのは本作の正しい見方ではないかも知れんが、私の身の丈に合った感想である。
昔、フィリピン・パブに行って、可愛いお姉さんに「May God Help You」と知ったかぶりの英語を呟いたことがあった。するとそのお姉さん、大粒の涙を零して泣きだしたのだった。私は衝撃を受け、自分の軽薄さに恥じ入り、それ以来フィリピン・パブに行っていない。神とは、彼女らにとってそのような存在なのだった。これは私の乏しいキリスト教体験。
映画はミゾグチ(霧のなかの船)やクロサワ(松明の行進や望遠で捉えた監獄など)へのオマージュが盛り込まれ、日本の風景を前にしたら撮ってみたくなったんだろうなあとは失礼な推量なのだが、表層だけでなく物語の一徹さもミゾグチを想起させる処が素晴らしい。我々が親しみやすいのは悩める人間臭い窪塚洋介だろう。棄教して「もう行く処がないんだ」と嘆く彼をもっと深掘りできれば傑作になっただろう。彼の喜劇性を強調して主人公にすれば「ゴドーを待ちながら」になるに違いなく、スピンオフでこちらも観たい。ウラジミール/エストラゴンはゴドーを待ちながら、一方会ったら殴られると恐れてもいるのだった。
なお、久々にロビー・ロバートソンの名前を見たが、「エグゼクティブ音楽プロデューサー」とは何する仕事なのだろう。また、そういう目で観ていなかったのだが俳優は有名人だらけ、伊佐山ひろ子や洞口依子、黒沢あすかは何処にいたのだろう。
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