コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 君の名は。(2016/日)

いままで風景の明暗を叙情的に表現することばかりに傾注していた監督が、よもやアニメの核心ともいうべき絵の芝居でこんな素晴らしいドラマを作るとは思わなかった。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







いくらでも方法はあるのに、積極的に内向きになって別れる2人の感傷にひたっている『秒速…』なんかより全然いい。みなさんおっしゃるように設定「?」は多々あるけど、間近にせまる災厄(と彼女の死)の回避のために3年後の彼が彼女になって奔走し、カルデラの上で2人が入れ替わって以降、今度は彼女が彼女自身の力で村人を避難させようと必死に走るシーンに打たれた。

その走るシーンの長さ、坂の急こう配、それでも走るシーンの美しさ。いままで風景の明暗を叙情的に表現することばかりに傾注していた監督が、よもやアニメの核心ともいうべき「絵が走る」という動作でこんな素晴らしいドラマを作るとは思わなかった。足がもつれ坂道の下りにさしかかるところででつまづき、何度もバウンドして道路に叩きつけられた時の、もう間に合わない、もう限界、もう絶対無理、ってなるところで、手のひらに書かれた文字をみて、もう一度立ち上がる姿。これはすべての人がこうあって欲しいと願い拍手を送るシーンだ。ベタな展開っていうけど、作劇に展開なんかはそんなに意味はない。だいたいの展開はありふれているんであって、それをどう見せるか、どうやって観客を説得させるかが肝なのであって、それがすごくよくできていた。

こんなシーンが一つでも映画の中に作れれば、映画は成功だと思う。映画はそれを以って語り継がれる、全体の完成度以上に。それが彗星の光跡や、雨のふりそぼる都会の夜景などではなく、アニメのキャラが走るというシーンだったとは思いもしなかった。これは監督の成長なのだろうか?

テレビの情報バラエティなどでは、本作の特徴のひとつとして新海作品の特徴である「風景の美しさ」に言及しているものが多かったけど、それでいえば例えば『秒速…』の雪の高崎線や夕陽のさしこむ校舎のほうが数段上だと思う。監督が自分の好きなことを徹底してやりぬいたこだわりがより強いからだ。本作は新海なんてよう知らん、という人が多く観に来ている(でなきゃこんな満員にはならない…)結果的はそういうことでいいんだと思う。

シン・ゴジラ』でも書いたけど、東宝が優秀な個人(オタク)に全権を委任し、彼らの苦手は前面バックアップ(エンドロールみたけど、「原作・脚本・監督」新海誠のほか、「演出」が別にいて、「回想シーン演出」がまた別にいて、「脚本協力」がいて、もちろん多数の作画スタッフがいて、作画家がいて、女性キャラのコーディネーターがいて…って、もう監督が全体としてしなきゃいけないけど、あんまり得意でない、というかぶっちゃけ気が乗らないところは、総力でカバー。『シン・ゴジラ』でも爆発を描きたい監督に対し、めんどくさい人間の芝居は樋口さんなどにに外注するという仕組みと同じ)し、時にひとりよがる監督を、「膨大な予算とスタッフ」という絶対的なエサでねじふせ、したくないことまでさせて…ようはオタクを商用としてうまくコントロールしてエンタメを作るというチャレンジを続けるのは、少なくともエンタメはマーケティングや会社じゃどうにもならないことがはっきりしてきて、正直ほかに打つ手がなくなってきたからだろう、と思う(これまで絶対あたるというようなテレビ番組の映画化みたいのしか作ってこなかった東宝がここにきてチャレンジとは…さすがに若いやつが立ち上がったのか? でも、上白石萌音とか長澤まさみという東宝シンデレラガールにこだわるキャスティングなんかに往年の専属俳優意識がまだ残っているのかな?)。もとい、少なくとも今回は「らしくなさ」で監督は成功した。次回作のオファーはもう来ているだろう。さて、これから飼いならされて持ち味を失っていくのか、今度はもっと我を通すのか、楽しみなところだ。

さて、私が今回ポイントにあげたい4点を最後に。まずはペンクロフさんがご指摘のところ。入れ替わりで、女子はストレートに性器を確認したのに対し、男子は最後までおっぱいという点。もちろん男子が女子と同じことを映画の中で見せたら、ちょっとコードにひっかかるとかあるのはわかるが、ここは童貞的なつつましさが出てて良かったと思う。次、バイト先の憧れの女の先輩とのデートをてほどきしてくれるのが「彼女」なこと。童貞じゃどうにもならない…思わずこんな距離感がとれたらなって感じ、そうそうあるある、である。次、三葉が自転車で坂道をこいでいるシーンを後ろからとらえた時の控えめなパンチラ。これ描くか描かないか迷ったと思う。男の作家なら必ず1回(以上)は迷う。「こんな感動的な場面で? 結局男はそれかよって思われそう…」「でも、見えないほうが逆に不自然では?…かえって意識しているようで恥かしく思われなくね?」こういう自分会議をする。女子にしてみれば「バカみたい、どーでもいいじゃん!」と鼻で笑われるところであるが、実写でたまたま映ってしまうのではなく、絵で描くという「明確に作者の意図が問われる」ところである。それの悩んだ結果があの控えめさである。ほんと「あの程度」に共感する。私でも同じくらいの量を選ぶような気がする、まさに熟慮の結果が感じられる。最後に、これ彼女は3年前に同じ歳の時に死んでいたという設定上、三葉は3歳年上ってことになるよね。だから現実に最後に出会った時の二人は、彼女が3歳お姉さんなわけだ。そこにちょっと萌える。だからこの作品で実は私が一番好きなシーンは、本当は2人が入れ替わる3年前、代々木駅から総武線に乗り込み彼女が瀧に会いにくるところだ。単語カードめくってる彼の前でどうしたもんかと悩んでるところ。彼女のほうが「先に知っていて」、のんけの彼にどうやって教えようか、って煩悶しているところ、ここ最高。こりゃたまらんでしょ。どうですか?監督!ぼくの妄想度は?

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (7 人)ALOHA[*] dov サイモン64[*] カルヤ[*] ゑぎ[*] けにろん[*] プロキオン14[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。