[コメント] トランボ ハリウッドに最も嫌われた男(2015/米)
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これまで赤狩りについて語られるとき、チャップリンものを筆頭に「リベラルだけどコミュニストじゃないもんね」という切り口ばかり観せられてきたように思う。だから冒頭でトランポは共産党員であると表記があったとき、おおこれは一歩踏み込んだ作品に違いないと期待に胸膨らんだものだ。この期待は以降2時間、裏切られ続けることになった。
下院非米活動委員会や協力者の実名描写は素晴らしい。しかし、彼等をこれほど詳述するのであれば、アメリカ共産党を殆ど描かないのは公平に見て片手落ちだ、と云わざるを得ない。アメリカ共産党がどのような組織か描写しなければ、非米活動委員会が何を非難していたかよく判らないからである。
はたして当時、アメリカ共産党はどれほどソ連と通じていたか、暴力革命未遂(デニス事件)は本当だったのか(そうだったら悪、と私は決めつけてはないない。ソ連への幻想が生きていた当時ならあり得る話だ)、それらに対するトランポの関わり方はどのようなものだったのか、どこかで共産党を辞めたのか最後まで党員だったのか、本作は何も語らない。裁判の滑稽な対処法、最高裁とリベラル派の生臭い話が出てくるだけだ。実に物足りない。ヘレン・ミレンのヘッダ・ホッパーのキャラなど、本邦の政治家やコラムニストにも類例が多く、ひとつの典型を射止めておりケッサクなのだが、彼女が力を持ったのもそれなりに立論が「正当」だったからだろう。
そこを突き詰めず、本作は権力対個人の話にしてしまった。結果、映画は予想される通りの美談にしかなっていない。無論、それだけでもいい話なのだが、トランポを描いてこれでは及第点スレスレという印象。トランポにしても、逆境から家族を守った超優秀な娯楽作家、という処に力点が置かれているのが物足りない。あのワーカホリック振りをみて娘があんな立派な人物になる訳もなく、ただ少女時代の「お父さんは共産党なの」という会話でだけ繋がっている。この辺り、足りないんじゃないかと思う。『ジョニーは戦場へ行った』はタイトルバックで軽く取り上げられるだけだが、あれこそトランポのコミュニストとしての一大成果な訳で、これを軽視しているのも微温的な印象を強めている。
本作の美点は粒揃いの俳優陣だろう。ブライアン・クランストンの飄々としたトランプ造形は嫌味がなく立派。難点は立派過ぎる処だが、これも含めて娯楽作なのだろう。個人的にはB級映画の社長が良かった。エドワード・G・ロビンソンに全然似ていないマイケル・スタールバーグの陰翳は惹かれるが、つまみ食い志向につき断片に留まった。
最後にちょっと流れてすぐ終わるビリー・ホリディの「Ain't Nobody's Business」は意味が判らない。「何しようと私の勝手」という歌と本編はどう関係があるのだろう。『ローマの休日』から「真実の口」の件を採用するのは、脚本を賞賛するには不適当。あそこはグレゴリー・ペックのアドリブの素晴らしさで記憶されているシーンだろう。
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