[コメント] かぞくのくに(2012/日)
劇映画としての演出はいささか未熟で粗削りだが、逆に作者のむき出しの私念がヒリヒリとストレートに伝わってくる。国家と制度のまえに、戸惑い苦悩する者たちの「寡黙」と「絶句」と「沈黙」。その奥に秘められた絶望的悲しみ。まさに私小説ならぬ私(噴)映画。
映像ジャーナリストであり、私的ドキュメンタリー作家であるヤン・ヨンヒの初めての物語り映画である。
純粋な劇映画として観てしまうと、ちょっときついところもある。たとえば、スナックでの同窓会や家族で食卓を囲むシーンなど、会話(セリフ)がその場の気分をリードし空気をかたち作らなければならないシーンで、作劇としての厚みが足りず映画が痩せてしまっている。
その一方、諦観する井浦新の寡黙が、困惑する安藤サクラの絶句が、宿命としてのヤン・イクチュンの沈黙が滲ませるそれぞれの悲しみには、作意を超えた迫力がある。会話(セリフ)ではなく、人物のたたずまいから、その奥に隠された、個人としてはどうにもしがたい苦悩があふれてくるのである。
たとえ不器用にでも、作者の思いのたけが込められた新人の映画は、理屈を超えて観る者の心を揺さぶる。そのときの「突出」は、技術の未熟さやバランスの悪さを超越し、「個性」として新人の勲章となるのだ。
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