[コメント] ドライヴ(2011/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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話には、ひとつ不満がある。知人のヤクザ者が黒幕だったなんて使い古されたドンデンが無用どころか、「なんだ、アイツ(パールマン)かよ…」「また、内輪もめ話かよ…」という落胆をもたらしてくれた反面、主人公や他の面々がやたらと殺傷能力を発揮するので、「おまえら、マフィアより強いんちゃうか…」というアンバランスをも感じさせて、物語への没入を阻害していたように思う。
ガレージで立身のチャンスを与えようとしてくれたオヤジ(アルバート・ブルックス)が現実の残酷となって将来をうばいにくる中華料理屋のアイロニーなんかは、たまんない味ではあったのだが…
そう、そういうところがいい。それでも、これは良い映画だ。こういう映画を見たいのだ。音楽も嫌いじゃない。終幕の「アンタァ〜リアルヒ〜ロ〜」はちょっとどうかと思ったが、それでも満点つけたくなるモチーフ、絵、空気、そして間の取り方、あるいは撮り方。
派手なシーンはなく、むしろ地味なぐらいのロケーションと抑制されたシークエンスが静謐な物語空間を醸成しながら時に生々しいほどの暴力を放射する。質屋の駐車場の乾いた緊張感、夜の車内を照らす孤独でどこか優しいネオン、夕方の川べりの泣きたくなるような安らぎ――それら静なる時間が絵としても演出としてもモチーフとしても完璧に機能して、突発的な銃声と怒りと疾走とその後に訪れる再度の静寂、あるいは喪失の寂寥を歌い上げる。
特に、モーテルでのドンパチの後で、刺客どもを返り討ちにして思いっきり返り血を浴びた主人公がなおも周囲の様子をうかがうシーンが素晴らしい。そうなのだ、片付けても まだ敵はいるかもしれない――武道で言うところの残心、この男はこうやって生きてきたのだと観客に想像させる実に地味で豊穣な、この映画を象徴するシーンだったと思う。
ドンパチ映画とはいえこんなシーンを見せられたら、主人公のモチーフを空想せずにはいられなくなってしまう。以下、彼に捧げる詩。
現実にあふれかえる理不尽な暴虐、そのなかで青年はささかなプライドと自分だけのルールを持って生きてきた。
この膿み爛れた世界を、あるいはその中に放り出された自分の運命と人生を変えることなどできやしないが、それでも屈したくなかった。
だから青年は誰よりも速く走った。何者にも捕まらないように、あるいは取り込まれないように。
出会ったのは、一人のウェイトレスとその息子。まともに生きていきたいだけの母子の生活が、どうして脅かされなければならないのか。
理不尽な暴虐は、容赦なく姿を見せる。アパートのエレベーターに乗って迫ってくる。彼らには容赦がないことを青年は知っている――容赦したら自分たちが危ないのだということを。
怖れと怒り、抑制できないほどの――
気がつくと青年は、暴虐の頭を踏み潰していた。またも浴びる返り血。そう、俺は薄汚れている。ふと目をやれば、彼女はエレベーターから後ずさっていた。そして扉が閉まった。
届かない。
届いてはいけない。
なぜならお前は凶器だから。たとえ弱き者のために自らを振るったしても、彼らと共にはあれない。ヒーローよ……!
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