[コメント] 十三人の刺客(2010/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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単純な作品である。でも、単純だからこそいい。 余計なことを(ほとんど)やらずに最後まで一直線。 久々に時間が短く思える作品に出会った。 でも、天邪鬼なもので、気に入れば粗も見えてくる。
本作の稲垣を見たときはちょっと震えた。 「おいおい、いい悪役が誕生したんじゃないの?」って。 でも、残念ながら最後の一騎打ちであっさりブレる。 あれでは「ただの我儘し放題だった小物のバカ殿」でしかない。 悪役が悪役として活きるのは悪役なりの哲学が一環しており、 それを狂いなく遂行し続けるときだ。 悪役の器が大きければ大きいほど、十三人の命の重さが変わる。 あまりに大きな対象を倒したという溜飲を下げさせて欲しかった。
松方の殺陣はさすが別格だ。 あれじゃ切れてないだろ、とかはこの際関係ない。 型の美しさを優先したあの殺陣こそ気持ちよさの元となる。 しかし、それも殺人マシーンと化した伊原の存在の対比あってこそ。 情けをかけず、とにかく敵を絶命させるためには大量の刀を使い捨て、 (実際、人を切ると刃毀れはもとより、血と脂肪ですぐに切れなくなるらしいですね) 路傍の石まで使い倒す、あの「痛そうな」必死さがあったからこそ 松方の美しさが活きたのだ。 とにかく本作は若手の頑張りが底辺を支えている。 まさに「歩駒」として必死な形相で動くシーンがあったからこそ 13対200超という非現実な戦に、説得力をもたらしてくれた。 非常にバランスのとれた布陣だったと思う。
ここまでだったらモヤモヤしない。 スッキリさわやかで観終われた。
石塚のいまわの際での台詞がある。 「我らの大願成就、しかと頼んだ」
え?
自分はここでこの作品に対するモヤモヤの正体がわかった。 「各員の大願を確認し合い、成就を誓うシーンなんてあったっけ」
そう。自分は勝手に補正して観ていたのだ。「みんなの大願は強固なひとつ」だと。 でも、そんなシーンはない。 となると、見た目だけなら彼らは「(師匠や恩師への)忠義」だけで命を捧げたことになる。 でも忠義は忠義であり、本作での大願≒暴君の首とは違うよなあ。 忠義とは白も黒と言わせる忠誠のことなんだろうから、 忠誠を尽くす相手の願いを叶えることこそ「大願」といえなくもないが、 そんなまどろっこしいフローチャートよりも 「おまえらの命は民草の礎となる」と暴君の所業を説明するシーンを3分でも入れたほうが 「大願」が固まる様がぐっと感じられ、加えて自分も十四人目になれたのに。 村の女のシーンとか新六郎の細君のシーンを入れるよりもよっぽど。
「忠義のためとはいえ、なんでこんなことで死ななければなんねーんだ」と 思っている若手がいたような気がして仕方ない。 大義名分ではなく、彼らをあそこまで動かす理屈ではない何か。それが現代の私には見えなかった。
・・・・きっとDVD買いますけどね。
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