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[コメント] エンター・ザ・ボイド(2009/仏=独=伊)

知覚の機械装置たるカメラでこそ実現し得る、身体性と超越論的領野の境。『潜水服は蝶の夢を見る』張りの主観ショットであるが故のトリップ感。純粋意識のマザーファッカー。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







リンダ(パス・デ・ラ・ウエルタ)が仕事に出た後でオスカー(ナサニエル・ブラウン)がドラッグを吸うシーンは、CGで描かれた幻覚の、植物とも神経ともつかない極彩色に光るイメージの奥へと観客の視線を呑み込んでいく画面も見事だが、その荘厳で異様なイメージが、携帯の着信音などという些細な邪魔によってすぐに日常に引き戻されてしまう点が、「日常と隣り合う彼岸」という世界観を感じさせる。ラリッたまま日常に引き戻されたオスカーが、開けっ放しのベランダを見て「ベランダに出るな」と自分に言い聞かせたり、訪ねてきたアレックス(シリル・ロイ)と一緒に外出する為に非常階段を下りるシーンなど、体外離脱の映画に相応しく、「高さ」を意識した画面作りが活きている。非常階段のシーンは、視界そのものが回転することによって、ラリッてフラフラであることの危うさとの相乗効果で、幻覚的な感覚が味わえる。オスカーがアレックスと話しながら街を歩いているだけのシーンでも、揺れ動く視界が観客の目眩を誘う。

「高さ」に関しては、まず冒頭のリンダとの会話シーンがベランダであり、夜空を飛ぶ飛行機から視線を下ろす形でリンダに視線が向けられる。飛行機は後のシーンで、母親の乳を吸う自身の幼年時代のイメージという形で回帰するし、アレックスのルームメイトが作った、サイケデリックに光り輝く東京の模型の中にも飛行機が混ざっていた。また、麻薬ディーラーのブルーノ(エド・スピアー)の部屋を訪ねるシーンでも、夜の街を見下ろすシーンがある。

全篇がオスカーの主観視点であるが故に、俯瞰移動撮影のトリップ感は、幻覚シーンに優るとも劣らぬものとなる。途中に挿み込まれる回想シークェンスは、それまでのワンカットと異なりカットが割られることに加え、観客の視線の前にオスカーの後姿が介在することによって、多分に普通の映画に近づいてしまいはする。だが、これも飽く迄もオスカーの主観ショットなのであり、彼が自らの肉体を見つめているということは、体外離脱を果たしているということだ。完全な主観ショットという、肉体と視覚の完全な一致から、肉体とのズレを伴う主観ショットへ。死者として、自らの人生を、それとの肉体的一致から一歩離れて反復するオスカー。

長い回想シークェンスの末、オスカーが撃たれて倒れたシーンに再び辿り着くと、それまで延々と後ろ姿ばかりを見せていたオスカーの肉体も、トイレの床に倒れたその顔や全身が視界に入ってくる。そこからカメラが上昇し、奇怪なトンネルを通ったかと思うと、便器の穴から上昇してトイレの室内に戻り、既にオスカーの肉体は片付けられている。清掃係は紐を引いて、オスカーの血を水で流す。その光景は、トイレに籠城したオスカーがヤクをトイレに流して隠蔽しようとした行動を想起させる。つまり、オスカー自身が、ヤク同様のモノに還元されてしまったわけだ。その点では、オスカーの意識が自分の骨壷に入っていくシーンも同様だ。「暗い穴」という共通項もある。

序盤で喋り続けていたオスカーは、死後、回想シーン以外は言葉を発しなくなる、つまり「カメラ=オスカー」の意識としては何も語らなくなる。肉体的個性の喪失としての、肉声の喪失。観客は、カメラがリンダやアレックスらに近づいたり離れたりするその運動に、無言の本能のみと化したオスカー(と、かつて呼ばれていた意識)の欲動に触れることになる。肉体性の喪失という点では、オスカー死後の主観ショットに瞬きが入らなくなる点も挙げられる。誰かの頭の中に侵入するシーンでは、この瞬きが一時的に復活しもする。

肉体性を喪失した純粋意識と、即物的な知覚装置としてのカメラが、人間の肉体を排するという一点で合致するという逆説。唯物論と唯心論の奇妙な同一性――これは、脳の化学的な作用による神秘体験、という本作の主題そのものにも言えることだ。

アレックスのルームメイトが作っていた、煌びやかなネオンに彩られた東京の模型。その中のラブホテルについて、壁を無くしたら乱交状態が現出する、と冗談を言う台詞があったが、これと、「性器の光に導かれて子宮に招かれ輪廻する」という、アレックスが語っていた『死者の書』の説明とが融合し、幻覚的なラブホテルのシークェンスが現れる。それに先立つシーンでは、アレックスとリンダが乗ったタクシーに、オスカーの意識も一緒に乗り込んでいたのだが、そこで突然の正面衝突。これは両親が死んだ事故のフラッシュバックかとも思えたのだが、その後に、何事も無かったかのようにアレックスとリンダが入るラブホテル自体が模型のそれであり、もはや現実と幻覚と回想とが識別困難になっている。そして、それまで散々反復されてきた、電球や卓上ランプなどの光への侵入に沿うように、性器の光に導かれる羽虫のように彷徨うオスカーの意識。

リンダは、兄がアレックスから『死者の書』を借りていることについて「宗教なんて全部同じ。金儲けのことしか考えてない」と言う。アレックスは、「死は最高のトリップなんだ」と語る。ディーラーは金儲けのためにドラッグを売る。こうして宗教はドラッグと限りなく同等の地位に置かれているように見える。リンダが妊娠検査キットを使うシーンでは、彼女は使用後のそれを、兄が遺した『死者の書』の上に置く。この妊娠は堕胎という結末を迎えるが、最後にはオスカーは、妹の子として再びこの世に転生してくる。兄をディーラーにすまいとストリップダンサーとして働いていたらしいリンダは、死というバッドトリップから、遂に兄を救い出したということにもなるのだろうか。妹の膣に自分のモノを挿入する代わりに、そこから自分の存在そのものが出て行くという、倒錯した近親相姦。アレックスの亀頭をリンダの体内から見るシーンと、ちょうど表裏一体ということだろうか。

ところで、オスカーの死の原因はどうやら、友人であるビクター(オリー・アレクサンダー)の母親(サラ・ストックブリッジ)と寝たことで、彼に恨みを買われていたことにあるようだ。ビクターによって「ボイド」という店に呼ばれたオスカーは、席に座って俯くビクターが「ごめん」と呟いた直後に警察に踏み込まれている。「母」といえば、欲望の対象としての女の乳房のイメージと、幼少期に風呂場で母の乳房に優しく抱かれた記憶とが重ねられるシーンや、母が後背位で父に激しく突かれるのを目撃する幼いオスカーの記憶と、アレックスにリンダが突かれるイメージとが重なるなど、神聖さと冒涜のアンビバレンツな対象として「母」は描かれている。終盤で一気に東京の街を俯瞰で移動するシーンでは、更に上昇した視線の先の飛行機にまで入っていくが、その中で幼いオスカーが、母の乳房に吸いついており、既に過去と現在が混淆している。交通事故での、血塗れになった母と、「ママ!ママ!」と絶叫するリンダの泣き声とが反復されることで、性と並んで暴力に於いても、冒涜と破壊が為されている。

「交通事故による死」は、浮遊するオスカーの意識の暗喩としての飛行機との対照として用意された要素なのだろう。冒頭シーンでオスカーは、リンダに「死んだら飛べるよ」と言う前に、上空の飛行機を見つめていた。だが、純粋意識として上昇を試みながらも結局は、飛行機より高くは上昇できない――つまり、人間世界の重力圏から逃れ得ない点がこの映画の限界か。全てをグチャグチャに破壊する映画なのかと期待して観に行ったが、実は、メロドラマ的構造から自由になろうとする意思すら見えないのだ。そのことは、長々とした回想シークェンスの後、少なくとも一旦は、己が肉体と共にその記憶とも切り離され、別次元の領域へ向かってもよさそうなオスカーの意識が、回想シークェンス以前と大した変化の無い浮遊を続けてしまう点にも現れている。

電灯の並ぶトンネルを通るとか、道路上の白線や矢印が高速度で視界を走るとか、電灯やガスコンロの火を見つめるだとか、全くの日常卑近の体験がそのまま幻覚的な体験と化す演出には感心させられる。実はCGによる幻覚シーンはそれほどガンガン挿入されているわけではないにも関わらず、このトリップ感。

マリオ(丹野雅仁)とリンダがファックするシーンと、そのリンダが堕胎するシーンで、性器にボカシが入っていたが、全くバカげている。幾つかのシーンでソフトフォーカス(即ち画面そのものがボカシ状態)を用いている本作に於いては特に、画面を勝手にいじるようなことは極力避けるべきだろう。また、誕生の神聖さがファックによって冒涜されるということがテーマの一つでもあるだろうこの作品にとって、性器はテーマに直結した被写体でもある筈。ボカシによってテーマさえもが幾らかぼかされた印象さえある。これはもう、ノエに殴られていいレベルの所業。

視界を呑み込む大画面という点では、映画館で観てよかったのだが、その一方、オスカーの意識と一体となってトリップするという意味では、他人と一緒に画面を見つめている状態は、幾らか邪魔であった。出来ることなら、部屋にホームシアターを用意して、真っ暗な中、雑音も入らぬ環境で、アルコール辺りを摂取した後、画面に没入するのがベストなのかも知れない。

(評価:★4)

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