[コメント] 今宵、フィッツジェラルド劇場で(2006/米)
生とか死とか、何か「神」らしきものにしっかり首根っこを掴まれながらも、達観とか明鏡止水みたいな言葉ではしっくり来ず、もとより諦観や虚無では決してない、影を知るヒトでなければ決して感受できない幸福の境地。それをジジ臭い説教でなくバッドジョークと優しさでカマしてくる粋の極み。頑張ろうぜとか言わないし。猥歌をキメてドヤ顔するハレルソンとライリーに涙が止まらない。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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最高の映画。これは間違いなくその中に数えていい映画だ。俳優さんの筆舌に尽くしがたい素晴らしさ。視線とリズムを合わせ、ハーモニーを作ることがこんなに幸福なことだったろうか、と思う。(キーラーさんはめちゃくちゃモテるだろうな。)こんなに優しいカメラも観たことがない。何なんだ、このズーミング。白いコートの女曰く「愛を感じる」。この映画はうるおいでビショビショだ。
個人的にハレルソンとライリーの件が響くのは、例えば『M★A★S★H』でのバッドジョークも死と隣り合わせの現実への処方箋という意味では基本的には同じなのだが、やはり『M★A★S★H』におけるそれはヒトの弱さへの辛辣さが先に立っていて見ていて辛くなったのに対し、この猥歌がその辛辣さを濾過された純然たるジョーク、単に「笑うためだけのジョーク」に昇華していることへの感動があるから。その肯定感。アルトマンがこれを歌わせるからこその、「深みのある軽さ」とでも言おうか。やはり世界の肯定というのは、然るべき人が言わないと味が出ないよね。
ところで、ハレルソン閣下の出演作『ゾンビランド』には、「ささやかなものを楽しめ」という人生訓が登場する。本作にも数多の「ささやかなもの」が。ルバーブパイ、コーヒー、ドーナツ、ダクトテープ、パウダーミルクビスケット、マヨネーズ、下ネタ、ホラ、ハムサンド、イチゴパンツetc。これらが「豊かさ」を増幅させているのは間違いない。
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