[コメント] ソウ SAW(2004/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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何が言いたいのかというと、まずあのじいさんが犯人はねーだろうと。それも毎回毎回凝ったギミック作ったりして、もうお前「生きている事に感謝していない奴云々」は言い訳でそのギミックを作りたいだけ、試したいだけじゃねーのかと。「んー、次の仕掛けは・・・顎ボーンのギミック!これよくねえ?」とか自分ツッコミしてたいだけなんじゃねーのかと。申し訳無いがあんた時間だけで言えばそこそこ長く生きてきたじゃねーか。なのに自分より若い人間を理不尽に殺すというのはどうなのか。いい歳して自分が癌になったからっていって他人に八つ当たりしているようにしか見えない訳です。自らが言っているとおりのゲームにしか取れないわけです。例えば犯人がとても若い青年で、不慮の事故で・・・みたいな強烈な生への、自由への執着を感じさせるような動機なりを用意してみるとかすればまだいいのかもしれないけれど。
アダムとゴードンにしても直接的な利害関係はないからドラマも生まれようがない。ゴードン単体だけ見ても妻や子供に見せる執着が浮気をしているのが描かれているためにどうしても上滑り感が出ているし、そもそもその浮気というシチュエーションもアダムがゴードンを撮影していたという繋がりをつけるためだけに用意されたものであるから有効に活かしきれていない。ここでアダムがカミさんの浮気相手だったり、もしくはゴードンの浮気相手の彼氏だったりと互いが憎しみあうようなシチュエーションで、「相手のことはどうでもいい。でもこのままでは二人とも死ぬ。さあどうすべ」的な状況なんかあればもう一つドラマが生まれると思うのですが。
極めつきはラスト。びびるかびびらないかといえばまあびびるのですがそれ以上に気持ちがスーっとひいていきました。それはない。ありえない。そもそもそこ最前列じゃないから。声は聞こえるけど何も回りが見えないでしょ!それにタイルは冷たいからトイレとか行きたくなったらどうするんだよ!つまりこのギミックは完全に映画製作者側の観客に対するためだけの驚かしであって、それが見事にやりすぎになっているわけです。登場人物の中で言えばダニー・グローバーをとっとと殺しちゃってあそこに配置してくほうが理にかなってると思いませんか?
チラ出しの情報が最後につながりゃいいってのは、思えば『ユージュアル・サスペクツ』あたりからはやりとして出てきたのかなあと思ったりもするのだけれど、「繋げる」ことだけを目的にした映画が面白いのかと言われると、観ている時は成る程と思ったりしてもその手の映画は繋がった時点で満足してしまい後は何も残らないような場合が多いような気がします。そういう意味では、極論すれば無理矢理繋がなくてもそこにドラマとして「魅せる」ものがあればまだそっちの方が良いのではないかと思ったりもします。この作品はそういう意味では「魅せる」ドラマはなかったなあと。
ちなみに犯人のじいさん、アダムが風呂の栓抜いた時がっかりしただろうなあ。うつぶせのまま。「ストップ!ストーップ!だーめーだろ!そういうことしちゃ。もう一回目覚ますところからやりなおし!」とか言いたかったろうなあ。うつぶせのまま。ひょっとしたらポソっと言ってたかもしれないなあ。うつぶせのまま。
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