★4 | 奇跡(1955/デンマーク) | 本来なら人知の理解を超える話しが、あっけないほどの解りやすさと説得力を持って語られる。登場人物の宗教観が類型的に分類されてしまう一歩手前で、各人の個性や生活感と合理的に合致して説話的リアルを獲得しているからだ。単調に見えて精緻なドライヤー演出。 | [投票(1)] |
★3 | ミカエル(1924/米) | 4年後の『裁かるるジャンヌ』が被写体の顔(感情)と身体(動作)を駆使したアグレッシブなサイレントだったのとは対照的に閉鎖空間(屋内)と老の執着(内心)と若の奔放(行動)を見つめることで愛欲と支配欲が織りなす耽美の残酷さを描こうとした新即物主義的映画にみえた。 | [投票] |
★4 | ガートルード(1964/デンマーク) | 交わらない拒絶と懇願の視線。接近し離反しまた接近する導線。心情を象徴する空間の明暗。歌手、詩人、政治家、ピアノ弾き。それぞれの方程式に導き出された「愛」の解は一致しない。この女が求める愛は俗っぽくもあるが、流れた時間はやがて「愛」を超越してしまう。 [review] | [投票] |
★5 | 怒りの日(1943/デンマーク) | ワンショットごとの確かな「意志」で一気に引き込まれ画面から目が離せなくなる。多様されるカメラの横移動は、屋内シーンではどこまでいっても“息づまり”に支配された迷宮の閉塞感をかもし、屋外の逢瀬シーンでは生と性の“息吹き”に満ちた開放感で満たされる。 [review] | [投票(1)] |
★2 | 吸血鬼(1932/独=仏) | オーバーアクトを排し挙動や表情で感情を語らないところは脱サイレントだがトーキーとしての音声の主張は最小限に止められる。幻想映像で語りきるのかと思えば過剰な文字で展開を説明する。イリュージョン作品としても怪奇もの映画としても成立しておらずもどかし。 [review] | [投票] |
★5 | 裁かるるジャンヌ(1928/仏) | 人は顔で詰問し、論争し、さとす。あるいは顔で疑い、企み、脅す。そして顔で抗い、嘆き、悲嘆する。その一方、人は全身に怒りを満たし、爆発させ、破壊し、価値を見出し、獲得し、護る。そんな感情の発露を「静的な動」と「動的な動」のみで描いたミニマム映画。 [review] | [投票(3)] |