荒戸源次郎の映画ファンのコメント
ぽんしゅうのコメント |
ゲルマニウムの夜(2005/日) | 禁じ抑圧することで人を盲目の民の集団におとしめ導くことの欺瞞。その軌跡こそが人の生きにくさの歴史なのではないのだろうか。獣の本能を封印されたとき感じる息苦しさを、本当はみな知っているはずなのだ。だからこそ、朧(新井浩文)は神になるのだ。 [review] | [投票] | |
王手(1991/日) | 浪花節的湿っぽさを排除し、勝負事を形式の中に閉じ込めてしまった中央エリート主義に対する大阪パワーの象徴として飛田(赤井英和)を描く阪本順治の潔さとセンスが痛快。後継者として孫のように飛田を見つめる若山富三郎の存在感も素晴らしい。 | [投票] | |
愛欲の罠(1973/日) | まず書き留めねばならないのは、24歳の中川梨絵さん(もっと出番が欲しい)が超可愛いということ! なのに今回は脱がないということ! そして後ろ姿の着衣のお尻フリフリだけで本人と分かる34歳の絵沢萌子さんも、化粧のしようによっては美人だということ。 [review] | [投票(1)] | |
赤目四十八瀧心中未遂(2003/日) | 堕ちることが使命であるかのように負の方向に向かう大西滝次郎の強い目の光。黄泉との境界を越えまいとふらふらと揺れる寺島しのぶの身のこなし。大楠道代が、内田裕也が、新井浩文が、人が人として存在する重さと悲しみを体現する。 [review] | [投票(2)] | |
捨てがたき人々(2012/日) | どうせ欲望に抗って生きることなどできないのなら、狸穴(大森南朋)の嘘のない生こそが潔いのかもしれないが、悲しいかな人は虚飾をまとったその陰で欲望を満たしながら生きるのを常とする。ときに虚飾は愛や絆と混濁する。嘘なく生きる定めの男の無謀と悲しさ。 | [投票] | |
どついたるねん(1989/日) | トレーナーの人物像がありきたり。せっかく原田芳雄を使うならもう少し何とかして欲しい。でないと映画全体に締りが出ない。 | [投票(3)] | |
鉄拳 TEKKEN(1990/日) | ベタな話しにもかかわらず、あらゆる行為から周到に意味や理由が排除されている。当然、確信的作意だろうが、これまた当然、物語としては意味不明。鉄拳を介した擬似的な父と息子の関係修復劇と見れなくもないが、二時間以上かけてそれだけというのも解せない。 [review] | [投票] | |
ツィゴイネルワイゼン(1980/日) | ひとが切り通しを抜けるたびに、時空の裂け目から存在のあやうさが露出していく。 [review] | [投票(8)] | |
陽炎座(1981/日) | 不連続から非連続へ。こちら側の裂け目から垣間見える妖艶な世界にとり憑かれ、ふと気がつくとこちら側と断ち切られた妖気の世界が目の前で踊る。高みの見物と決め込むが良い。連ならざる世界など立ち入らぬが良い。魂のやり取りなどせぬが良い。 | [投票] | |
トカレフ(1994/日) | 巨大な鎌で日常をザクザクと刈り取っていくような阪本順治の潔い画作りは、有無を言わさず観る者を物語の中へ引きずり込む。情緒や繊細さを廃した無骨な展開の中に、アンカーとして人間臭い刑事國村隼を配し日常の臭いを残す映画的センスも抜群。 | [投票(3)] |