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[コメント] 怪獣大戦争(1965/日)

機械文明を否定する気はことさら無いが、「政治家は信用出来ないから、国政は全部コンピュータにやらせた方がいい」なんて言う人間がいたとしたら、俺は絶対に信用しない。X星人こそその末路なのだ。
荒馬大介

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 X星人の、というか彼等の計算機が立てた計画は周到だった。その手段は不明だが、宇宙にいたキングギドラの捕獲とコントロールに成功。さらに地球を植民地とする計画を立てた。無論その逆、地球植民地化計画を立てた上でギドラを捕獲したとも考えられるが、ここでは順番は考えないこととする。この怪獣なら地球侵略が可能だろう・・・・・・となったところで「ちょっと待て」となる事態が発生する。地球で、ゴジラとラドン(本当はモスラもいる)の共闘によって、ギドラが撃退された事実が判明したのだ。加えて、自分達にとっての「殺人音波」を(偶然にも)利用した防犯装置を開発した人間がいることも。この情報は間違いなく「世界教育社」の面々が提供したものだろう。さてどうするか、ということで、X星人の「未来の計算」を任されたコンピュータが結果を出す。やがて出た結論は「可能」。

 人類にとってゴジラとラドンの存在は今だに「脅威」であり、誰のものでもない。ならば「我がX星の危機を救う為に貸して欲しい」と訴えても、否認される要素はどこにも無い。しかも2体の怪獣を我が星まで運搬できる技術を、我々は十分過ぎるほど持っている。後は我々の持つキングギドラを我が星の「脅威」に見せかければ、(地球人も同様のことで困っているのだろうから)、賛同してくれる可能性は高い。殺人音波に関してはいたって簡単、幸いなことにこの発明は今だ世に出ていない。ならば発明そのものと、開発した人間を消せば済むだけのことだ・・・・・・。

 ここまでやられては実に見事、用意周到である。ではなぜにX星人の波川(水野久美)を宇宙パイロットのグレン(ニック・アダムス)に接近していたのか。おそらくこれは、地球人がX星に調査に向かうことになり(宇宙から発せられる怪電波が全てX星からのものだった、と判明して現地調査に向かっているわけだが、これもX星人が自分達の星に地球人を来させるための罠だった可能性がある。自分達が出向くのでは怪しまれる、という計算なのか?だとしたらなおさら周到だ)、誰がパイロットとなるのかを知る為の、身上調査だと思われる。では富士(宝田明)にはなぜ接近しなかったのか、という疑問も湧くが、おそらくパイロット2名の調査は波川に一任されていたのだろう。彼女は哲夫(久保明)と「レディ・ガード」の契約をする際、彼の恋人である富士の妹・ハルノ(沢井桂子)を見て、初対面であるはずなのに「お兄様は宇宙パイロット」とすんなり当てている。これから観ても、X星人の計画に関与してくる地球の重要人物の調査は彼女に任されていた、とみてよい。

 しかし波川自身の任務によって計算外のことが発生してしまう。彼女は、グレンに接近した際に彼のお眼鏡にかない、恋仲にまでなってしまうのだ。任務とはいえ、ここまで接近しろという計算だったとは思えない(現に地球本部司令の怒りを買っている)。しかし波川自身の任務の為には彼女は「地球人」でなければならず、かといってX星人であることを明かしては任務は達成出来ない。だからこそ彼女は「あの星に行ってはいけない。ずっと一緒にいて欲しい」と望んだ。しかしそれも叶わなかった。結局波川の正体は彼に露呈してしまう。そして彼女が最後に望んだ道は、グレンをX星人として迎え入れることだった。そうすることで二人は「計算上で導かれた最良の結論」によって初めて結ばれる・・・・・・。だがグレンは逆に、彼女がX星人であることを捨てて、「地球人」として暮らすことを望んだ。だがそれは彼女自身のX星に対する「裏切り」でしかなく、それだけは出来ない、と彼女の中でも葛藤があったはずだ。そして彼女はどうしたか。連行されようとする彼を、計算違いになることを覚悟で身を呈して引き留めた。地球人に接近するという「任務」が、彼女をそこまで追い詰めさせてしまったのだ。地球侵略をする上で、計算上で必要だと導き出された任務なのだから、言われた通りの事を遂行すれば何の問題も無い、はずだったのに・・・・・・。

 そして彼女は、最後の最後でグレンにX星人の弱点を教えた。何故そうまでしたのか?。単純に「グレンを守るため」とも思えるが、「愛」だけで弱点を教えるというのでは、愛そのものを過大評価しているような気もするし、それだけでそこまで出来るとは思えない。むしろ「計算によって導き出された任務」が決して完全なものではなく、破綻しないとはいえないことを証明する為、彼女自身が押せなかった“計算のリセットボタン”をグレンに与えた、とも考えられる。それがX星人・波川としての、仲間達に対する最後の訴えなのだ。それでもあなた達は、まだ計算された未来を信じるのか、と。

 そして彼等の最後の台詞「我々は脱出する!未来へ向かって脱出する!まだ見ぬ、未来へ向かってな・・・・・・」。

 この後彼らは何かしらのボタンを押し、刹那、円盤と地球基地は跡形もなく消滅してしまう。単純に「自爆ボタンを押した」とは考えにくい。ではあの行為は何を意味するのか。計算によって導き出される未来を否定し「まだ見ぬ未来」へ脱出した、というならば、あのボタンは、計算機を強制終了、あるいは破壊するものだった可能性が高い。もっとも、コンピュータを破壊したのなら同時に円盤も消滅するだろうし、単に強制終了だったとしても、保全の為にコンピュータを消す必要がある。計算機停止と連動して働く爆破装置があったとも推測される。いずれにせよ、彼等は計算機を放棄したのだ。だからといって、何の導きも無い未来を、今まで自分達を導いてきた計算機を自ら放棄する行為は、X星人達に幸せをもたらすとも思えない。第一、自分達で未来を決定する行為を捨ててそれを計算機に頼って生き延びてきたというのならば、そんな能力はすっかり退化しその名残もないはずだ。唯一それが出来ていた波川というX星人の女性を、彼等自身で消してしまったところをみると、そんなものがあったということすら感じない段階にまで退化しているようだ。ならば、もはや彼等に「未来」は無い。自分達で作り出すことも出来ず、導くものも何一つ無い未来、つまり「絶望」しか残っていない。……ということは「消える」しかないわけか……。

 長くなったが、X星人についてはこの辺でお開き。やたらとゴジラの「シェー」に話題が集まりがちな本作だが、個人的にはあの「シェー」は、ゴジラ自身が宇宙へ来たのが嬉しくてはしゃぎ過ぎたのではと思っている。第一重力は地球よりも弱いのだから、今までのっしのっしとしか歩けなかったのがたちまち身軽になってしまう。こんなことはゴジラにとっては未知の体験だったに違いないので、まあ目をつぶって頂きたい。ちなみにこのシーンは、円谷英二特技監督に他の出演者陣が「やらせてみたらどうだ」と掛け合ってみたことから産まれたものだとか。流行というのは恐ろしい。そのおかげで登場人物に「リベンジだ」等と言わせてしまったりするのだから。

 まあそれはともかく、今回ゴジラは宇宙へ進出している。ちなみに宇宙人とUFOが登場した怪獣映画というのは、実は本作が最初なのだ(宇宙ロケットは登場済)。宇宙SF冒険モノと怪獣映画を合致させた、かなり野心的な作品ともいえる。ストーリー自体も宇宙規模の怪獣レンタル(この場合は“リース”かもしれないが)というかなりの破天荒さだが、演出や脚本もかなり乗っていてサクサクと話が進み、クドくないあたりに好感が持てる。特撮も結構なモノで特に合成が上手。伊福部昭による「怪獣大戦争マーチ」も名曲である。しかしストーリーの展開上とはいえ「操られるギドラ」の歴史はここから始まってしまった。この後ギドラは『怪獣総進撃』『ゴジラ対ガイガン』でまた別の宇宙人の傀儡となり、『ゴジラvsキングギドラ』では未来人にまで操られた挙句メカに改造されるという、凄いのはギドラなのか人類なのか分からないという状況にまでなってしまった。キングギドラが「侵略の手先」という使命から解放されるのは『モスラ3』になってからで、『大怪獣総攻撃』では「千年龍王」という肩書きを持って復活を遂げた。長かったねえ。

 とはいえ、人気のある怪獣三匹をまるまる使ったうえに、怪獣バトルはあるわUFOやロケットは出すわと、とことん「怪獣映画を観に来た子供達」に大サービスしまくっているのに、話としてちゃんと納まっているあたりは凄い。“シェー”もそのサービスのうちの一つなのだ。今はともかく、当時の子供たちにはどう映ったのか、それが気になるが……。

 そういえばTVオンエアされた翌日の学校は、X星人とゴジラの“シェー”で盛り上がっていた覚えがある。これはそういう映画なのかもしれない。

(評価:★4)

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