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[コメント] 惑星大怪獣ネガドン(2005/日)

昭和の残像と平成文化。
荒馬大介

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 本作は「昭和100年」という設定だ。西暦に換算すれば未来の話ということになるが、居間にはちゃぶ台があり、柱にはボンボン時計が据えられている。電話は黒のダイヤル式だし、テレビ画面も四角くない。それだけではない、登場する自衛隊……いや、劇中では“防衛省”となっていたから“自衛軍”かもしれないが、その兵器も戦闘機はF104、戦車は74式、ミサイルはオネストジョン(『空の大怪獣ラドン』の阿蘇山攻撃時に使用されたアレです)なのである。

 そう、本作には設定こそ遠い未来の話だが、画面には“昭和”の匂いがするものばかりが登場する。未来でありながら未来であることを拒絶しているかのようなこの不思議な空間の中に、突如として出現する怪獣・ネガドン――――しかし自分がその名前から想像した重厚長大な獣の姿はそこにはなく、見るからに宇宙生物感満点の、現代風ともいれる怪物がそこには鎮座していた。まるで、ずっと続いていた昭和という時代の中に、突如として平成という時代が現われたかのように。その形状こそ洗練されていたネガドンは、昭和の兵器をことごとく潰し去り、眼下の街を瓦礫と化した。

 それに立ち向かったのは、10年前の不意の事故により全ての情熱を失った一人の男だった。彼は平成という名の怪物に、昭和を背負った人造機械M:1-6(ミロク)を持ってして迎え撃つ。この展開を当初「ああ、これは歴史の深い昭和文化がまだ年月を経ていない平成文化を打ち負かすということか」と読んだのだが、再考してみるとどうも違うということに気が付いた。

 確かに、所々に画面上に登場する要素は昭和なのだが、それはあくまでも部分的なものに留まっている。そして、怪物とロボットが激闘を繰り広げている足元を見てみると、その街並が全て平成のそれと何ら変わりないことに気付く。やはり本作の世界感は現代(つまり平成の世)を基準とした未来なのだと、改めて認識させられるのだ。つまり作者は現代(平成)を一切否定していないのだが、そうしない代わりに昭和を背負ったロボットを現代風の怪物に勝たせた。現代は現代としてあっていい、しかしより年月を重ねた文化に対する敬意を忘れたくはない……という作者側の想いが伝わってくるようだ。

 ちなみに監督の粟津順氏は1974年生まれだそうな。自分と4つしか違わないのか……。あ、もちろん自分の方が年下ですからね。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)kiona 水那岐[*] tkcrows[*]

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