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[コメント] パニック・ルーム(2002/米)

あるべきでないところにあるべきでないものが浮かんでいるというのは、それだけで、怖い。

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







たとえば、冒頭のタイトルバックの画面を見ながら『北北西に進路を取れ』というタイトルくらいは思い起こしこそすれ、「ああ、これ『北北西』ね」などと知った振りで言葉にしてみせるほどには映画に数多く接しているわけでもない映画素人の自分としても、印象だけでそれが自分の眼にどう映っていたかを言ってみるくらいのことはできる。NYの実際のビル街の中に、その建築物の遠近に即した形で、さもそこにそれが実在するかのように陰まで付けられた立体的なレタリングが浮かんでいるという光景は、何故かしら、怖い。空間の秩序に則ってさも自然にそこにそれがあるかのように見えているのに、それは本当はそこにはない。その不自然に装われた自然さ。それだけで、そこには一抹のサスペンスの端緒が生じている。

一方、“パニック・ルーム”なる鉄壁の密室を具えた家の中を這いずり回るキャメラの視点が、本来生み出されてもよいはずのサスペンスを何故だか生み出し得ずに終わってしまっているように見えてしまうのは、それがあまりにも当然の如くに、不自然な視点移動を繰り返してしまっているからではないだろうか。物理的な実在であるキャメラが割り込むことが出来ないような空間を這うように縫うように滑っていく視点は、空間を尊重する限りで、まさに空間と空間が仕切られてあるという密室のサスペンスを虚構してみせていくことが出来るだろうが、一旦その空間と空間の物理的な隔たりをキャメラの運動が無視してしまったならば(視点の横移動で壁をスルーしてみたりetc)、その途端に隔てられてあることのサスペンスは崩壊して、映画は人間対人間の駆引き合戦にしか見えてこなくなってしまう。映画的な発想の観点から言って、何が怖いといって、人間の力の及ばない物理的な障壁が家の中にあるということが、一番怖いのではないだろうか。絶対的に人間を守ろうとする装置が、逆に無慈悲に人間を圧殺してしまう、その怖さ。

あるべきでないところにあるべきでないものが浮かんでいる怖さのリアリティというものは、たとえそれが拵えられた映像に過ぎなくとも、その視点が空間の秩序に則って現れているから(見えているから)こそ生じる。逆に、暗に空間の隔たりをこそ主題にしているはずなのに空間の秩序を無視して当然の如く縦横無尽に動き回ってしまう視点は、ついに隔たれてあることのリアリティ、その怖さを生み出してはくれない。「ジャンル映画」としての御約束事うんぬんの話は一切存じないが、見る限り、私にはそう思われた。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (8 人)muffler&silencer[消音装置][*] ドド[*] kiona[*] ハム[*] アルシュ[*] crossage[*] terracotta[*] 緑雨[*]

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