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[コメント] 長屋紳士録(1947/日)

小津唯一の終末SF映画
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







実によくまとまった松竹人情喜劇。画で語るスタンスが当たり前だが抜群で、砂浜での飯田蝶子青木放屁との駆け引きなど、さもありなんという心理の襞をユーモアで包んで語り尽くす巧みさは正に名人芸。ただ、飯田の心変わりから父親が青木を迎えに来る辺りの終盤はちょっと当たり前で平板。71分の中編だからこれでいいのかも知れないが。

驚くべき展開がふたつある。ひとつはロケ地で、小津映画のいつもの下町の長屋なのだが、飯田が青木を探しに外へ出ると長屋の上には巨大なビルが聳えている。さらに歩くと、この長屋は焼け野原の一角だと判る。これがとても異様なのだ。いつもの精緻なフレームワークがなく話の展開から浮いていて、突然に終末もののSF映画が始まったように見える。しかも本物である。

もうひとつがラスト。青木を失った飯田が養子が欲しいと云うと、笠智衆が上野の方角が験がいいと教える。すると西郷さんの銅像の周りに蝟集する戦災孤児の大群が映し出され、ここで突然に映画が終わる。ラストを多義的にするのは文芸作法のイロハではある(小津は『一人息子』などでもこの手法を採用していた)が、それでも驚きがある。良い驚きではない。

飯田の善意は大いに発揮されるべし、と取るのが正当なのだろうが、善意にも限度があるよと皮肉っているようにも見えてしまう。だってこんなに大勢いるのだもの。さらに善意に解せば、飯田の境遇にある観客の皆さんも孤児救済に協力してください、ということになるのだろうか。しかし終戦直後の市民にそんなことができただろうか。

翻って見れば、飯田ら長屋の住人は、不思議なぐらい敗戦の傷を受けていない。もの不足とか物価高とか家族の戦死離散とかで困っている様子が全然ない。ただ戦前からの貧乏が続いているだけだ。そしてみんなで愉しく海軍中将男爵の、などとのぞきからくりの歌をチャカポコ唄っている。まるで上野は別の国の話みたいだ。これは、不自然ではないのだろうか。

本作は小津安二郎監督「帰還第一回」作品(と当時のポスターにある)。池田忠雄との脚本共作はこれが最後だが、ふたりとも世情に疎かったのではないかと思えてならない(保守的な思想から世情をあえて無視していた、とは思わない)。だからロケにリアリティがなくSFになっているのではないか。Wikiによれば当時、戦前と変わらないという評(批判ということだろう)もあったらしい。小津次回作の『風の中の牝雞』では銃後の妻の不幸をやり過ぎな位のテンションで描くことになるのは、この反省もあったのではないかと邪推してしまう。

もうひとつ最後となるのは飯田蝶子の出演。リハが長いと愚痴を云ったためだとか。残念なことであるが、悠久の長屋噺が敗戦でリアリティを失ったが故の巡り会わせ、ひとつの時代の終わりとも思われる。

(評価:★4)

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