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[コメント] キートンのセブンチャンス(1925/米)

「速度」と「量」が描き出す悪夢の映画。キートンが世界最高のアクション映画を撮れたのは何も彼が映画史上最高の身体能力を持っていたからではなく、画面上のあらゆるモノの動きを完璧に操ることができたからだ。しかし人間にそんな芸当が可能なのか。否だ。「バスター・キートン」とは映画の神様の固有名にほかならない。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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たとえば転がる岩石のアクション。ひとつの岩石が斜面を転がり落ちている。別の岩石とぶつかり、それもまた転がり出す。ぶつかったほうも軌道を変えながら転がり続ける。それが無数に繰り返され、キートンはそのすべてから紙一重で身をかわす。岩石を使ったビリヤードのごときこのシーンで(私は『探偵学入門』のビリヤードを思い出します)、岩石の動きはキートンによって完全にコントロールされているのだ。人は鍛練によって自身の肉体を制御する術を学び、思い通りのアクションを演じることができるようになるかもしれない。しかしどうして岩石の動きを操るなどということができるのだろうか。すなわち、キートンこそが映画の神様なのではないか(それともあなたはあの岩石の動きがコントロールなどされていない、まったくの偶然のものだとでも云うのだろうか? まさか!)。

あるいは、キートンが画面を横方向に走り抜け、その一瞬間の後に列車が通過するカット。キートンの身体能力なり度胸なりにももちろん驚かされるが、やはり私はそのタイミングそのものに度肝を抜かれる。このタイミングを計算する能力もまたまったく人間離れした、神の領域のものだ。

同様に、花嫁集団を構成する数百の個たちのアクションもまた完全にコントロールされた面白さであり、これを超えるモブ演出の映画はいまだ現れていないとまで思わされる。むろんこれほど多数のエキストラの各々に具体的かつ詳細な演出が施されていたとは現実的に考えにくく、またそもそも実際に彼女たちに指示を与えることは助監督の仕事のはずだろう。それにもかかわらずエキストラ全員の一挙手一投足に至るまでが演出家キートンの意思に支配され、彼に操作されているように見えるのだ。これもまた私には神の成せる業としか思えない。

さて、上の論旨とは離れたところで、もう一点ほど記しておく。それは特異な「移動」演出についてなのだが、キートンがルース・ドワイヤーに求婚するために彼女の家を訪れるシーン。キートンが事務所の前に駐車してあった車に乗り込むと、中心的被写体かつ前景であるところのキートンが乗り込んだ車は微動だにしないままに、背景だけがディゾルブしてドワイヤーの家に到着したことが表現される。また求婚に失敗したキートンがドワイヤー宅から事務所に戻る際の移動も同様の演出で処理される。もちろん特異とは云ったものの、私が知らないだけで、このような演出は他の(とりわけ、無声)映画でも度々見られたものなのかもしれない。しかし『探偵学入門』においてキートンはスクリーンの中に入り込み、次々と背景を変えるだけで驚愕のギャグ・シーンを作り出していた。それを思えば、このような移動演出も実にキートン的なものだと呼びたくなるし、これこそ「映画」とは「空間」表現の媒体にほかならないことの証拠であると口を滑らせそうにもなる。

(評価:★5)

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