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[コメント] キートンのセブンチャンス(1925/米)

前半のメアリーや7人の女とのロマンスコメディ的助走から、地から湧いて出る花嫁群にモブパニックの予感を漂わせ飽和点に達するや、一気に映画が疾走し始めるダイナミズムの妙。キートンの活劇力の比類なさは言わずもがな。あえて時代へのアイロニーに注目する。
ぽんしゅう

それは、19世紀末から20世紀初頭にかけて急速な工業(画一)化と大衆(マス)化のなか、おそらく蔓延しつつあったであろう人間性喪失への警鐘だ。そんな目で、プロットを改めて見てみると、作品の底流にキートンの人間性復興への思いが流れているのを感じる。

映画の流れはこうだ。

〔個的関係性の齟齬〕・・・メアリー(ルース・ドワイヤー)への求婚と意思の行き違い。

    ↓

〔個的関係性の拒絶〕・・・7人の知人女性への一方的アタックとつれない反応。

    ↓

〔個的関係性の喪失〕・・・道行く女性への手当たりしだいのアプローチと当然の拒絶。

    ↓

〔関係性なき肥大化〕・・・新聞広告による花嫁募集。すなわちマス・システムによる画一化。

    ↓

〔主体性の強制剥奪〕・・・花嫁集団の執拗な追跡。すなわち営利(打算)主義による有無を言わさぬ追い詰め。

    ↓

〔人間性の完全喪失〕・・・打算という意思すら持たない無機的な岩石群の落下による集中攻撃。

    ↓

〔人間性の回復と復活〕・・・メアリー(ルース・ドワイヤー)への再求婚と意思の確認。

チャップリンが『モダン・タイムス』で同じテーマを描くのは、この11年後である。

(評価:★5)

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