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[コメント] スカイ・クロラ(2008/日)

2年掛りの初投稿!!!!
タニヤン

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







甘崎さんにご招待頂いたにも拘らず、扱い方が見えず、あっち弄りこっち弄りしても訳が分からず、取る物も取り敢えず、採点ばかりしてお茶を濁していた日々・・・。

今宵甘崎さんと久し振りに再会し、ようやっと聞き出した投稿の仕方、そこで最初の投稿がこの作品。

四の五の言わず参ります・・・。 連綿と一つの文章とできる程纏められないので、箇条書きとなるのはお許しを。

初見は公開初日、舞台挨拶チケットを前々日に漸く確保して、行った先は新宿ミラノ1 先の「攻殻2.0」の初日の舞台挨拶見た劇場のお隣さん。

先ずは毎度の事ながら頭シッチャカメッチャカでトッチラカッタりしてたけど、掴んだ感触「・・・・・・悪くない」と言うモノ。自分のmixiに感触らしき物は書いたけど、まだまだ感想と呼べる物ではなくて、唯一つ「・・・・・・悪くない」と言う気持ちを手掛りに再見したのが翌翌々々の水曜日、雨の降ったる渋谷の街を東急目指して全力疾走、7時の回に何とか間に合い、2回目の鑑賞が何とかなりました。

エンディングのスタッフロールが流れ、エピローグシーンが終了した瞬間、周囲取り巻くトレンデーな女性陣、カップルの中、一人夢中で拍手する男一人、36歳独身彼女無し。漸く確信。

「傑作キタコレ!!!!」

正直パト2の次が漸く来たと言う印象だった。攻殻、アヴァロン、イノセンス・・・と、この10年余り空虚な雰囲気を常に纏い続けてきた押井作品、「ようやっとキタ!!」「天たまの卵が孵った!!」何でもいい兎に角そういう印象。

今の所そんな状況、言葉にならない纏まらない。皆さんのような上手い表現が見つからない。今は兎に角列挙するのみです。

・「スカイ・クロラ」は明らかにパト2の後を受けた作品。人は「平和のみの世界」で生きる事ができず「どこかの誰かが自分の身代わりになって殺し合いをしているという戦争の実感を必要とする」この命題は機動警察パトレイバー2の中で提示されていた命題、今回はその命題にどのような変化が見られたのか?代理戦争「真実としての戦争」を自ら用意し、それを観賞する事で己の平和を保とうとする行為は、パト2で提示された「虚構としての平和」に自覚的になるという事、この安穏とした平和と言う名の病理に侵されているという事に気付いている事、コレはパト2の一歩先の世界と見て取れる。

・「スカイ・クロラ」は「御伽噺」、失われた現実感。衝撃だったのはそうした映画作品が思いの他リアルに感じられた事、詰まる所我々の住むこの現実世界その物に既に現実感が失われているのではないかと言う不安感だ。

・思ったのは「特攻精神」との共通性、当時の戦闘機乗り達の中には国の為と言う意味合いとは又別に、どうしようもなく閉塞した状況に風穴を開けるべく「家族の為に、愛する人の為に・・・」と言う思いからヤケッパチの様な戦術を選択した人達がいた。彼らの選択した戦術の是非はここでは一先ず置くとしても、彼らの精神性から何かを学ばなければ我々に未来はない。この国の未来はない――。

・突きつけられる命題「大人になる事の意味とは?」「責任を負う事?」「責任とは何か?」「生きる事?」「生きる事の意味は?」 結局の所全てのテーマ(意味)が「生きる事の意味」に回帰する。

・今回の「スカイ・クロラ」は僕個人の中では押井守監督作品の中でも最高傑作若しくは最高傑作に準ずる作品になった気がする。今までは「機動警察パトレイバー2」が最高だったが、今回僕の中では「スカイ」はパト2の上を行った気がする。その大きな理由はパト2で提示された「現実としての戦争と虚構としての平和」と言うテーマを今一歩先に進めつつ、今まで各作品で共通していた押井作品の「空虚」な虚ろの中に中身がカチリと嵌った気がしたからだ。「守るべきものは確かにある、その物の為に己が命を賭してでも守るべきものは確かにある」と言う監督の声が僕には聞こえた気がする。

パト2を監督は「負け犬の遠吠え映画だ」と自ら揶揄していた。そうなのだろう。「何処かで犬が鳴いている。聞こうとする気のある者には聞こえるかも知れないが、その気の無い者には恐らくは一生聞こえない」そんな映画だと。そうした意味で言うならば兎角監督の作品は遠吠え映画であった。確かにこれまで監督は自らの主張を観客の事は考えずただひたすらに吠えてきた。 今回の「スカイ・クロラ」で最も感じた違いはこの点、監督は今回真直ぐに観客の目を見つめ我々に語り掛けてきた。極めてストレートに。この違いは極めて大きい。

・この作品でティーチャーとして登場する存在には具体的なキャラクタが存在していない。性格の片鱗らしき物(ロストック社からラウテルン社への移籍の件や、もしかしたら飛行戦術からある種の厳格な空気を見て取れる気もするが・・・)は無くはないが、台詞も無く、姿形も登場しない。従来の押井作品に比べると明らかに異質な存在、従来であればこうした存在は確実に途中から物語に介在するようになっていたが、今回は登場せず。ここに押井監督の中での物語性の変化の様なモノを見た気がした。天たまの少年、BDでの無邪鬼、パト1での帆場映一、パト2での柘植行人、攻殻での人形遣い、これらの存在は共通して他のキャラクタとのやりとりがあったものだが、今回は戦闘機同士での戦闘のみ。ここいら辺に今回見られた監督の中での物語性の変化の様なものを感じる。ある種の厳格性を得た気がする。もしかしたらそれは「父性」という様なモノなのかも知れない。

以上上手く纏められません。申し訳ありませんでした。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)煽尼采[*] 甘崎庵[*] 地平線のドーリア

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