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[コメント] 誰も知らない(2004/日)

こんなに愛に溢れた映画を観たのは初めてかもしれない。 (年齢でいうと、たった一つしか変わらない監督とその作品、子供たちに出会えた感謝をこめて・・・長文になります。)
クジラの声

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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「誰も知らない」是枝裕和監督(04.9.9劇場鑑賞)

この作品の細やかな演出、そして何よりもあの子供たちの表情は、映画における奇蹟のように思う。

大好きな映画が1本増えた。 こんなに愛に溢れた映画を観たのは初めてかもしれない。

私も子供のころ、小枝があればアリ1匹でも遊べた。土の塊を潰したり、くだらないものに意味をつけて何かを作ったり、絵を画いたりした。汗で髪が顔に張り付いても気にならないほど夢中でボール遊びをした。怖いときや不安な時はきっと母親や兄妹の服を掴んだ。そんな時代を誰でも経験してきたはずなのに、いつのまにかこのような大人になってしまっている。 スクリーンの中の子供たちの表情にそれらを重ね合わせ、今の自分を振り返ると彼らがとても尊く思えた。

もしかしたらあの母親と同罪である私たち大人の恐ろしいところは、快適さを求めるという自分たちのエゴで、土に触ることもなく、汗をかくこともない子供を現実味のない情報ばかりを溢れさせた社会に放り出したままにして、大人たちも含めて無感情を育ててしまっていることかもしれない。 「人が当たり前に生きること」が便利や快楽と引き換えに、気付かないうちに愚かさの代償へとすりかえられていっている。

 彼らの母親に代表される一見「今」流に見えて、うまく時代に乗れない人達は見捨てられ、存在しないものとして処理されてしまう社会。  どんなものであれ「生」を持つ以上、懸命に生きるのに、その生きるということ事態、豊かさの中で、もはや忘れてしまっている現代の日本。

生を与えられ、ささやかな未来を夢見た子供たち。 彼ら子供たちは何かを望んだか? 大人たちを、社会を、恨んだか? 彼らにとって優しくって、笑顔が素敵で、大好きなお母さんは恨む対象に成るはずもなく、それどころか誰かを恨むという消化作業でさえ教わることもなく子供達は“全て”を受け入れてゆく。例えそれがかけがえのないものとの別れであっても、日々起こる現実の全てを受け入れて生きてゆく。そう、彼らに起こる毎日のひとつひとつが「仕方無いこと」以外のなにものでもないのだから。 そのひたむきさ、いじらしい姿に心が震える。

冒頭に記したこの監督の驚くべき細やかな演出は、全編、全てのシーンに行き届いており、例えばそれは表情や道具だけでなく、爪に僅かに残るマニキュアのかすれや、しっかりもので頑張り続けるアキラのお母さんを待ちわびてそれでもテーブルで寝たふりをする長男の気恥ずかしさまで、見過ごしそうな一瞬に映されている。茂の愛すべき所作の一つ一つ、京子ちゃんの遊戯の上から土を払う姿、奢ってもらったジュースを持ち帰るアキラのそれを放り上げる仕草、とにかく書ききれないほど、それこそ全てのカットに意味と思いがこめられている。あろうことか自分たちの都合でしか生きない大人たちにまで、愛情と呼べるであろう視点でこの監督は描いている。

ラスト、ユキちゃんのためにアキラ達が穴を掘るシーンは、この作品の象徴のようだ。 土を削る二人の上を爆音を立て通り過ぎる巨大な飛行機はまさしく私たちのことで、自分達の目の前から消してしまいたい物に対して見えていない振りをし、無関心を装う。我々は、すさまじい轟音をだす飛行機を何機も何機も飛ばしてその二人をかき消そうとするのだ。  そして早朝、都心にモノレールが戻ってゆく景色。 また誰も知らない東京が始まってゆく。この作品の主題はタイトルの通りだから、これ以上のない完結。

いとしい子供達と是枝監督、そのスタッフにありがとう。

モチーフとなった実際の事件は、もっと壮絶で悲しいものだったと知る。当然のことだろう、人間なのだから。スクリーンの中ではなく、現実の1秒1秒はそんなに生やさしいものではないはずだろうから。この監督が撮りたかったテーマ、誰も知らない状況で彼らは生きていた。だから誰も知らない実際の時間では、この作品が生まれることなんて有り得ない。この矛盾が何より悲惨なのかもしれない。

それを思うと、この映画の存在の意味を考えてしまう。 現実にあるかなしみまで虚構に作ってしまえる「映画」というもの、いまも、たしかに現実に生きている彼らをどこかへ忘れて、エンターテイメントの部分ばかり扱うマスコミを中心としたこの社会のこれ以上無い身勝手さ。(後記:名誉な賞がつくのはいいが、表彰やパーティなんか行ってもらいたくなかった)

追記(二度目の鑑賞を終えて):この監督のコメントに「この作品を撮るうちに怒りが優しさに変わった…」というものがあるらしいと知る。これが正確ならば、 私が感じたことに対しての答えとなるありがたいコメントです。  それはその通りであって。 この監督の持つ優しい視線では、最初から「怒り」の映画なんて撮れないです。きっとカメラをはじめ、全てのスタッフにそれは伝わり、(意図しないはずであろう)母性にも似た生き物に対する愛しさが、ずっと根底に流れているから。

これで冒頭に記した「こんな愛情に溢れた映画を観たのは…」の理由付けができる。

(評価:★5)

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