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[コメント] 死刑台のエレベーター(2010/日)

わざとセピア色に古びさせたようなテイストが何やら贋作じみた胡散臭さを漂わす。完全に現代を舞台としておきながら雰囲気は昭和という違和感が面白さにまで至っているとは思えず、「大佐」の登場や町の少女のシーンに見られる擬似外国映画風の作りが噴飯物。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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全てが擬似的かつ表面的に見える世界観は狙って演出されたものなのだろうか。僕にはこれがユーモアともメタフィクションとも感じられず、ただ陳腐でしかなかった。第一、邦画の画面に字幕が挿入されるのが嫌いなので、必然性の無い外国人の登場と英語台詞の遣り取りがバカバカしくてやりきれない。エンドロールの冒頭でオリジナル作品の名を表示するあのフォントなども、クラシックなフランス映画のリメイクという変な気取りが漂っていて薄気味悪い。

ルイ・マルによる『死刑台のエレベーター』の、犯行直前に電話越しに愛を囁きあう二人によるファーストシーンは映画史的な名シーンだと思うのだが、この、もう他の言葉はとうに尽きてしまったといった調子で繰り返される「ジュテーム」の熱い連呼と、二人を隔てる電話、完全犯罪の成功によって二人が再び、そして完全に結びつくことが出来るのだという期待とは裏腹に退いていくカメラによって、言外に多くのことを語るその見事な演出と比して、意識的にこのシーンをなぞっていると思しきこのリメイク作では、淡々とした口調で「愛してる」が言われるのみ。この平板な印象からして早くもこの映画への期待は最低域まで下がってしまうのだが、いや、この二人の愛が確かなものか、それとも打算が絡んだ関係なのか、そこを曖昧かつ不確定にしているのは確信犯なのかもしれない、と一応は気持ちを持ち直してやったものの、それを映画的に捏ねくり回すような工夫は特に無いままに吉瀬美智子の愛はいつの間にやら漏れ出て確定事項となる。

玉山鉄二の不可解な人物造形や、彼が警官であることと、街が外国の要人を迎えるために厳戒態勢にあるという設定、また、阿部寛が戦場で医師として活動していたこと、病院長と旧知の間柄であるらしい平泉成のヤクザ等、医療と銃とが密接な関係を織り成すこと。治安や生命を守るという職務が却って銃を街に持ち込むことになる倒錯した世界観によって、見慣れた日本の光景を異次元に移す工夫は面白い。

だが、古瀬やりょうが、老人に飼われている設定がどうにも前時代的に思える。古瀬が、阿部が北川景子と車に同乗していたのではと疑うくだりは、オリジナルのジャンヌ・モローの、年齢的におそらくは生涯最後の愛に賭けているであろう彼女が疑念に苛まれながら夜の街を彷徨するシークェンスの情緒(モローのボイスオーバーと、マイルス・デイビスの音楽、そしてモノクロの映像)とはまるで異なり、巧く利用したつもりの男が裏切って計画が破綻したかも知れない恐れに捕われているようにも見える。ここで、津川雅彦という老人の妻である古瀬が、その境遇から逃れようとしながらも当の阿部が津川と同じように若い女に走っている、という構図が成立している筈なのだが、やはりどう見ても阿部と津川は年齢的にも人物造形的にも重なりようがない。

オリジナルでは、モローがビルのシャッターを打ち鳴らす音を、エレベーターに閉じ込められた恋人が聞くシーンや、街を彷徨するモローと、車を奪った若い恋人二人とが、互いに隔たりながらも雷雨という共通項によって演出的に結びつくなど、繊細な工夫が見られたのだが、このリメイクは全篇に渡って妙な気取りばかりが目立ち、どうにも好きになれない。玉山の人物設定のように不可解な要素を自由に展開させていけば独得の味が出た筈だが、阿部の車を奪った彼自身が既に拳銃を奪われている身だったというプロットの二重性も単に阿部の影を薄めただけで、テーマ的に発展するわけでもなく、彼以外の連中は何か既存の映画群から或る雰囲気を拝借しているような底の浅さばかりが感じられる。撮影だけは評価したい。古瀬が雷光に照らされるシーンなどは、純粋に視覚的な美しさが感じられた。夜の闇に浮かびあがるビルの姿などもいい(『悪い奴ほどよく眠る』を想起)。だがビル内の造形は、年季の入った様子がどこか人工的に映じる。

(評価:★1)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)Sigenoriyuki IN4MATION[*] けにろん[*]

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