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[コメント] 怒りの葡萄(1940/米)

終盤の台詞「民衆は死なない cus' we're the people that live.」はまさに余計な一言です。
TM大好き

グレッグ・トーランドの撮影技術の特徴はパンフォーカス手法にあるわけですが、この作品では、照明よりむしろ自然光を多分に利用しているため、そのイメージは現実感が強く出ています。原作者スタインベックも「ドキュメンタリを見ているようだ」と試写会で唸ったそうですが、スクリーン全体の空間的深度を極端に高める撮影手法がそう見えさせるのでしょう。

ところで、このフォード作品も、例によって仕掛け人はザナックです。ザナック自身は保守的な共和党員として有名ですが、他方では社会改革にも大きな関心を持っていた人物としても知られています。ザナックは、当時では異例の10万ドルという高額で、西部農民の現代的悲劇を題材としたこの小説の映画化権を買い取り、製作過程にもかなり精力的に関わっていきます。

ただ、こうしたザナックの積極さは、正面切って評価しづらい。特に、原作には存在していない「民衆は死なない cus' we're the people that live.」というラストシーンの台詞。これはザナック自身の考案なわけですが、ボク自身は、この台詞が必要だったとは思えません。映画表現のマナーから言えば、まさに余計な一言ではないでしょうか。例えば、同時代の成瀬作品『鶴八鶴次郎』(1938)を思い起こしてください。あれもまた、ラストシーンにおける長谷川一夫の長台詞が、かえって作品全体のタイトなムードを破壊する作用をもたらしています。映画における最大の敵は言葉である。そのことを考えさせる一本です。

(評価:★4)

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