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[コメント] ルードウィヒ 神々の黄昏(1972/独=仏=伊)

天上の人、ルートヴィヒ。
たわば

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







オープニングの場面、天井画が映し出され、やがてカメラはゆっくり下降しルートヴィヒの姿をとらえる。これが全てを物語っていた。ルートヴィヒは、地上に舞い降りた「天上の人」のような存在だったのだ。義務を放棄し、虚構の世界に逃避し、そして全てを失ったルートヴィヒは雨の降る湖で自殺?する。そんな彼のどこか浮世離れした生き方も「国王」だからと言うよりは、「天上の人」だったと考えた方が妙に説得力があるように思えるのだ。

この映画は、天から舞い降りたルートヴィヒが、高い位置から徐々に落下していき、やがて地面に倒れるまでを描いている。ラストシーンは、雨による垂直運動と、上を向くルートヴィヒの亡骸で構成されており、観客の意識は上に向けられる。これはルートヴィヒの魂が地上から天上へと召されてゆくことを意味しており、それは冒頭の場面へと回帰する。こうして映画は「魂の不滅を信じる」というルートヴィヒの言葉通り、彼の魂を乗せて永遠に回り続けるのだ。

そんな雲の上の人である彼だが、妙に親近感を感じてしまうのはなぜだろうか。役者に好きな人物を演じさせ、それを見て悦に浸る主人公の姿は、好きな映画のビデオやDVDを見て悦にひたっている私たちとどこか似ている気がする。城の中の泉で白鳥のボートに乗る王は、ディズニーランドへ行きシンデレラ城で記念写真を撮り、アトラクションに乗って喜んでる私たちとどこが違うのだろうか。そして城に閉じこもり政治を放棄し、狭い世界で若い部下たちと戯れるのは、家に閉じこもり、選挙にも行かず、気の合う仲間同士だけでメールのやり取りをする私たちにそっくりではないか。せっかく訪ねてきたエリザベートに対し醜い自分を見られたくないと面会を拒む姿は、昔の面影がなくなり醜い自分を見られたくないと同窓会を欠席する私たちと一緒ではないか。(すいません、私たちでなく全部”私”のことでした)まあ程度の差はともかく、ルートヴィヒの孤独や絶望に自分を重ねてしまい、共感を覚えてしまうのは私だけではないはずだ。

芸術とは孤独と絶望の中にあると何かで読んだことがある。そう考えると彼の孤独と絶望の生き方はまさに芸術そのものであり、彼の人生そのものが一つの芸術作品として人々を魅了して止まないのではないだろうか。この映画は、細切れの寄せ集めみたいな構成で、手法としては認めるが素直に面白いとは言い難い。だがこれを観る度に、ルートヴィヒという人物に対し愛おしさを感じてしまうのは、現代に生きる私たちもまた孤独と絶望を心に抱えて生きる「天上の人」だからなのかもしれない。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (6 人)太陽と戦慄 ぽんしゅう[*] カレルレン[*] TOMIMORI[*] ジョー・チップ けにろん[*]

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