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[コメント] グッバイ、レーニン!(2003/独)

主人公の母親が幸せだったかを考えるとき、自分はあの小野田少尉のことを考えてしまうのだ。母国は「帰るべき」ところであったのか…?
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







小野田少尉のことは、ある年齢以上の人なら誰でも覚えていることだろう。皇国の武運長久を信じ、敗北を認めずに南海の孤島で戦後数十年戦いつづけた日本軍人だ。その彼が日本の敗北と、それでも戦前以上に富み栄えている現実を信じさせられたとき、母国に帰る決心をするのだが、いざ訪れてみてあまりに変わり果ててしまった日本に失望し、彼は南米への移住の途についた。 彼にとっての日本は、すでに「遠きにありて思うもの」になっていたのだ。

映画の母親を考えてみよう。彼女の社会主義への傾倒がポーズであり、息子への感謝の芝居だったのかもしれない、ということは、夫やラーラとの会話が真相を告げるものだった可能性が大であることを思えば、容易に想像できる。彼女はほんとうに東ドイツの体制を愛していたのだろうか。いや、むしろノスタルジーの中で、「今も正義を貫き、誇るに足る国家」であることを夢見ながら死んでゆきたかったのではないだろうか。彼女は聡明な女性である。亡命した父とともに、子供さえいなければ逃げ込んでいたであろう西ドイツについて、決して無知ではいられなかったと思うのだ。だが、母は東ドイツの良さを愛している。それは理屈では片付けられない祖国愛だ。その証拠に、母親のために演技を続けていると見えた息子自身が、いつしか東を生き延びさせることに躍起になっている。この国は今のままでいいのではないか、そんな思いに取りつかれはじめている。若い彼はいずれドイツという連合国家に慣れてゆくだろう。だが戦後の東ドイツしか知らなかった(と思われる)母にとっては、良いところも悪いところもひっくるめて、「祖国」だったのではないか。だから息子が祖国を生かし続けてくれたことに感謝しつつ死んでいったのではないだろうか。

この作品の主人公は、だからレーニンなどとは全然関係なく、だまし騙されることで愛を確認しあった母子であったと言ってよかろうと思われる。

(評価:★4)

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