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[コメント] センチメンタル・アドベンチャー(1982/米)

放浪者の叔父の帰還と、砂塵に覆われた画面のなかで少年が出会うギターのつやめき。映画愛あふれるオープニングから哀愁と歓喜に満ちた傑作を予感させる。何者かでありたいと願う無名の者たちへの力強い讃歌。(2011.11.25)
HW

**ネタバレ注意**
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 空のショットガンを握らされたばかりに老婦人にマヌケっぽく殺されかけたかと思えば、同じショットガンでテーブルを囲んだギャンブラーたちを怯えあがらせる。俳優クリント・イーストウッドの魅力も実にあふれる作品。交通違反で警官に捕まえられそうになるくだりも、彼ならではの堂々とした卑屈っぷりがおかしい。「罰金はいくらです?」「ワイロをつかませる気か?」「違いますよ、私が支払う罰金をあなたにお預けするのはどうか、とご相談しているんです」

 ニワトリ泥棒から脱獄から、教育上よろしいとは思えない数々のエピソードは、少年の成長物語の定番要素とも言えるが、決してその程度に押し止めていないところに、この監督の映画に対する潔癖な姿勢とアメリカ社会の来歴への確かなまなざしとを感じる。売春宿でイーストウッドが少年の父と偽って(笑)「息子に女を買ってやれないなんて父親として情けない」と大げさに嘆くところなど、これまた愛嬌たっぷりだが、おそらく公開当時にしたって微笑ましい一方の場面ではなかったろう。黒人の集うクラブで、親友の黒人女性歌手と交す「抱き合ったら、君の色を俺にも移してもらえるかな?」といった冗談も同様(その頃、少年のほうはというと、うっかりマリファナを吸わされてトリップしている)。

 物語のはじめ、「旅に連れて行きたい」という両親への叔父の申し出に胸を躍らせた少年は、「一生を綿摘み人で終わらせたくない」と口に出して、「俺と母さんがその綿摘み人をやってるおかげでお前が暮らして来れたんだぞ!」と父親を怒らせてしまうが、少年は、そんなつもりで言ったんじゃない、と詫びながら、"I just want a chance to be somebody."とつぶやく。

 この"to be somebody"(「成功する」「名をあげる」といった日本語はたぶん適切な訳語にはならないだろう)という同じフレーズが、終盤、別の人物によって再び語られる。汗だくの青白い死相を浮かべて収録に挑む叔父の姿に耐えられずに、少年がスタジオの外へ出ると、レコード会社の男がそっと後を追ってやって来る、この場面だ。少年が、死んでしまうと知ってて歌わせているのか、と問うと、男は「彼も知っているよ」と答えて、二人はこんな会話を交す。「彼自身、最期のチャンスだと思っているんだ」「何の?」「To be somebody.」

 「歌手になろうなんて二度と思うな」と一度は叱りつけた少女が再び押しかけてきたあと、彼女を部屋へ通したことを詫びる少年に、病床の叔父は「あきれた肝っ玉だが、悪い子じゃないんだよ。彼女が歌をやるのに力を貸してやれ」と語る。"to be somebody"と願う人々、願った人々をまっすぐに肯定する、この作家の自信に心打たれた。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)ぽんしゅう[*] 3819695[*] ナム太郎[*]

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