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[コメント] ハウルの動く城(2004/日)

観終わった後、しばらく鈍い偏頭痛が頭の中でうずいていた。
イリューダ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







どこか馴染みのある痛さだな…と、ぼんやり考えていて思い出した。コタツでつい眠ってしまったときなどの、めまぐるしい悪夢に彩られた浅い睡眠の後によく感じる頭痛に似ている。つまりわたしにとってこの作品は「夢」に、それもどっちかと言うと「悪夢」に近い。その証拠に、観終わってしばらく経った今、内容を反芻しようとしてもどうしてもうまくいかないのである。夢が、覚醒した瞬間からすごい勢いで忘却の彼方へ過ぎ去ってしまうのと同じように。

そして睡眠中に見る夢のほとんどがそうであるように、この映画もストーリーの脈絡も整合性もない。中盤、ソフィーがハウルの身代わりに王宮に行くところまではわたしにも理解できる。ソフィーと荒地の魔女が階段を上るシーンは大好きだ。しかしその後の怒涛のような展開にわたしはほとんど茫然としてスクリーンを見上げるしかなかった。伏線はほったらかされ、物語の基本構造は破綻する。一体ソフィーの「呪い」はどこへ消えたのか?荒地の魔女は本当にそのままでいいのかよ?

それでも、この作品を「物語の破綻をハイクオリティーのアニメ技術で繕った単なる駄作」と片付けてしまえるかというと、ちょっと躊躇する。おそらく宮崎駿は物語の破綻など百も承知であったろうし、観ている間、少なくとも個々のシーンにおいて、わたしが目を奪われっぱなしだったのは事実だから。考えてみると、宮崎駿は『千と千尋』は言わずもがな、『カリオストロの城』の昔から、ストーリーの整合性にあまり重きを置いていなかった。シーンのテンションで乗り切るタイプの演出家であったように思う。そしてその手法が正しかったことは、現在の宮崎作品が日本映画界において占める地位が証明している。

けど、ちょっと待てよ。確かに『カリオストロの城』だって『ナウシカ』だって『ラピュタ』だって、後から考えたら物語の構造が破綻しているのは明らかだったかもしれないけど、観ている間はそんなこと気づきもしなかった。ひたすら物語に没入できた。でも本作においては、確かにその場その場で展開される素晴らしいアニメーションに目を奪われてはいたけれど、どうやっても物語についていけない自分を自覚していた。こんなことは宮崎作品を観ていて初めてのことだ。個人的にはあまり上等の作品とは思えなかった『紅の豚』や『もののけ姫』の時だってこんなことはなかった。

宮崎駿はもはや観客を置き去りにすることにためらいを覚えない監督になってしまったのだろうか。かつて多くの巨匠がそうなってしまったように。そうだとしても、その驚異的な演出技術がある限り、箸にも棒にもかからない駄作を作るようなことは無いだろう。しかしそれは、子供の頃、心の何割かを預けることが出来たあのきらめくような宮崎アニメではもはやありえない。本作を観てわたしが一番強く感じたのは、ある種の「終焉」に向けての不安と寂寥感であった。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (8 人)煽尼采 狸の尻尾[*] わっこ[*] Osuone.B.Gloss[*] pom curuze[*] 4分33秒[*] Myurakz[*] 水那岐[*]

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