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[コメント] ミツバチのささやき(1972/スペイン)

死ぬと言うこと、あるいは死なないと言うこと。大人と子供が見た死生観の違い。(コメントは長文ですが、完全に電波入ってます)
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 私にとっては思い入れのあるフランケンシュタインの映画。それについてレビューを書こうと思い、先日丁度映画好きの仲間と話す機会があった時(具体的にはコメンテーターのアルシュさんとジョー・チップさんだが)、その事についてちょっと触れた。

 そうしたら「だったら、これを観なければならない」とお薦めされたのが本作。題名からはとてもこれがフランケンシュタインと関わりがあるとは思えなかったが、本編を観て納得。確かにこれ、フランケンシュタインの映画だわ。

 それにしても変な映画だ。

 主人公の二人、アナとイザベルはほんの少女に過ぎないので、言葉もとぎれとぎれで、長文でまとまった台詞はほとんどないし、その父親は少女達と関わりのないところでミツバチとだけ関わっているし。フランケンシュタインのような存在であるスペイン兵だって殆ど何も喋らないし…台詞の数で言ったら記録的な少なさだと思う。ところがなぜだかそれが非常に力をもって迫ってくる。観てる間はそうでもなかったけど、観終えてからずしっと来た。

 この作品についてレビューを書くというのはすなわち、自分の思いを分析することなので、非常に楽しいものがある。

 本作は色々な面から取られることがあるだろう。ただ、私なりに本作の魅力というのは、生と死の境目というものを子供の目で見ていると言う所にあるのではないか。そのように思える。

 冒頭に『フランケンシュタイン』(1931)の映画本編が配置されるのだが、ここで『フランケンシュタイン』の持つテーマ、“死から生へ”というテーゼが置かれる。ここで面白いのはアナとイザベルの対応の違い。イザベルはこの映画を“怖い”と思って観たかもしれない。しかし、彼女はこれが作り物であると言うことを知る程度には分別があった。“死から生へ”という本来映画が持っていたテーマを理解したからこそ、それを「作り物」として押し込めてしまう事が出来た。一方のアナはこの映画のテーマを理解していない。彼女が見たのは怪物が沼で少女を殺してしまうシーンと、最後に風車小屋が焼け落ちて焼け死んでしまう怪物の姿。怪物が死者から作られたことよりむしろ、生きている怪物が殺されてしまったと言う所にこそ、恐怖を感じていたように思える。死というのが不可逆なものであることをこの時初めて知ったのだと思う。

 「何故怪物は殺されたの?」アナがイザベルに問うたこの問いは「何故人は死ななければならないの?」という大きな問題を内包するものではなかっただろうか?

 それに対しイザベラがアナに答えたのは「どうせあれは作り物。本当は誰も死んでない」だった。

 ここで二人の認識に相違が生じる。イザベラは映画と現実を明確に区別していたのでそれで良いが、アナはそうではなかった。アナにとって、映画の中もやはり現実であると思っているのだから、生から死の課程は不可逆なものではない。と言う認識が芽生えたのではないだろうか?それでアナにとって劇中の死は本当の死なのだが、やはり生きている。と言う認識に立つことになる。

 そして劇中、何度となくアナは偽装化された死を目の当たりにする。それはイザベルの死んだふりであったり、あるいは火をくぐるという通過儀礼のような(民俗学的に言えば、社会には子供と大人を明確に区切る出来事が必要とされる。イスラム化される前の中東方面では子供が大人になる際、火を渡らせる儀式があった)行為…その度ごとにイザベラは生き返ってきていた。死の認識がアナの中ではどんどん曖昧になっていった。

 アナの前に傷ついたスペイン兵が現れた時、アナはそれをフランケンシュタインの怪物が復活したものとして自然に受け入れている。アナにとっては死んだものが再び目の前に現れることは自然なことなのだから。

 ここで『フランケンシュタイン』の映画が意味を持ってくる。怪物は死んだが生き返った。それならばあの少女は?

 それは自分ではないのか?

 彼女の前からスペイン兵が姿を消した時、アナは自分の死を悟る。

 …それが幻想に過ぎないことは時間が彼女に教えてくれるだろう。やがて彼女は生と死はやはり不可逆であることを知ることになるだろうし、これも又、想い出の一つとして、あるいは想い出にすらならないことかも知れないが、それを切り出して映像化したという点が本作の最大の魅力ではないかと思う。

 そして死と生の狭間を考えると言う点においては本作はもう一つトピックが置かれている。表題である『ミツバチのささやき』のテーマとも言えるべく、アナとイザベルの父はミツバチの研究を行っているが、ミツバチというのは面白い存在で、個体としてではなく群体として捉えるべきもの。ミツバチというのは巣穴の群れがそのまま一つの個体となる。そこにおいて個々の死とは一つの細胞の死でしかなく、巣(女王蜂)が生きている限りは決して群れとして死ぬことはない。ある意味、これも又死を超えた存在。

 家族といえども接触がほとんどないこの二つの物語が融合した結果出来たのが本作だと言えよう。大変面白い。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)煽尼采[*] ナム太郎[*] kawa[*] アルシュ[*] ジョー・チップ スパルタのキツネ[*] tredair[*]

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