コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ウェスト・サイド物語(1961/米)

改めて、ワイズ監督の偉大さを思う。この監督のキャリアでこれだけの冒険に挑戦しようなんて。博打だったんだよ。これは。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 シェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」(この作品単体で一体何作映画が作られているんだろう?)の舞台をニューヨークに移し、華麗なダンス・ナンバーと共に綴った1957年初演のブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品。全世界で大ヒットを記録するが(本国アメリカでは『スパルタカス』にトップは奪われてしまったが)、特に日本の公開では何と73週に渡り続映され、この記録は未だ破られていない。

 先ずこの作品、特筆すべきはオープニングにある。

 前奏曲に合わせて書き割りのマンハッタンのイラストの背景がカラーに変わり、マンハッタン上空からの空中撮影へと移る。そして下降していったカメラはジェット団のダンスへと移り、彼らを追ってカメラは裏町へと入っていく。導入部分は本当に素晴らしい。この演出は映画史に残る名オープニングだ(ここには非常に力を入れたようで、タイトル・デザイナーの第一人者ソウル=バスの名前はとみに有名になった)。

 その中で曲に合わせて無言で踊りまくる若者の群れは一種異様な空間(笑)。決してこの作品、自然な導入ではない。むしろ違和感ありまくりなのだが、結局この異様さが後の物語形成に重要な役割を果たしている。

 この異様さと言うものは二つのアプローチで考えることが出来ると思う。先ず一つはこれが普通の映画であるなら、いきなり一糸乱れぬ踊りを見せながら移動するなんて事はあるはずがないと言う点。そしてもう一点は、これがミュージカルなら、何故作り物の中で踊らないのか。と言う疑問。ミュージカルというのは最初から不自然なものであるため、むしろその不自然さを増す事によって逆に自然さを強調するため、わざと狭い空間で行うのが普通だし、コーラスも入る。更に観客の目を強調するため、カメラは基本的に固定化される。しかしここでの舞台はニューヨークの下町そのものであり、カメラが動き回るし、踊りも無言のまま。つまりこの作品のオープニングは普通の映画としても、ミュージカル映画としても異様なのだ。

 この辺は完全に監督の作戦だろう。むしろ最初からどう見ても不自然な部分をぶつけることによって、観客に「この映画は何か違う」と思わせる事。そしてミュージカル映画というものの常識をうち破ろうというワイズ監督の宣戦布告のようにも捉えられる。

 事実ミュージカル映画として本作を見る限り、ミュージカルの常識をことごとく無視していると言う事に気づかされる。それもオープニングでそれらは凝縮されている。

 そしてその常識破りはそのままストーリーにも適用される。この作品、笑える部分が少なすぎるのだ。元々オペラから発達したミュージカルなのだが、これが映画に入り込んでくると、娯楽一辺倒となった。基本的にミュージカルは娯楽であるから、ふんだんに笑いの要素が取り入れられ、観ている観客は気分良く劇場を出ることになる。それがミュージカル映画としての位置づけだった。だが本作はなにせシェイクスピア悲劇を元としている。笑えるはずはない。これは単純な事ではない。ミュージカルが喜劇を基調としているのは、単に相性が良いと言うだけではなく、極めてシリアスを演出しにくいからに他ならない。結果的にそれがミュージカル=コメディという風潮にあった訳だが、この作品において、それははっきりと方向転換され得る事が実証された(ただし、やはり作りは難しいらしく、以降何作かのシリアスミュージカルは作られるが、あまり成功してない)。

 色々な意味で型破りな映画だったわけだ。

 それでも本作は単に流れに反抗したから受けたと言うわけではない。元が元だけにストーリーもしっかりしていたし、パートパートのミュージカル・シーンも丁寧に作られていた。なにより曲が素晴らしい(バーンスタインが作曲し、スティーヴン=ソンダイムが作詞を務めたサウンドトラックアルバムは全米で54週のヒットチャートナンバー・ワンを独占し、全世界で800万枚以上を売り上げる大記録を残した)。そのしっかりした演出があってこそ、こういう冒険が出来る。

 ミュージカル・シーンは名場面ばかりだけど、「トゥナイト」をデュエットで歌うシーンは圧倒的迫力(これまで知らなかったが、ナタリー=ウッドの歌は吹き替え。『マイ・フェア・レディ』(1964)、『王様と私』(1956)など、歌の吹き替えにかけては第一人者のマーニ=ニクソンが吹き替えてる)。

 ここまで色々褒めているけど、実は私はこの作品を初見では全然どこが良いのか分からなかった。確か高校時代だったかという記憶があるのだが、多分地上波テレビだったと思う。

 大分後になってビデオで改めて観たわけだが、なんであの時こんな事が分からなかったのだろう?と思わせられることになる。映画を観る目が鍛えられていくと、新しい発見があるものだ。

 これはゴシップだが、本来本作はウィリアム=ワイラー監督によって作られるはずだったのが、撮影途中で降りてしまい、『砲監サンパブロ』(1966)の資金繰りに困っていたワイズ監督にお鉢が回ってきた。それでワイズ監督は舞台の生みの親ジェローム=ロビンズを呼んで、共同監督となった。だが、結果的に考え方がかみ合わないとの理由で撮影開始後降板。アカデミーでは仲良くオスカーを手にするが、舞台に上がっても感謝の言葉がでなかったそうだ。

 又、本作に出演して一躍トップスターとなった俳優達はその後どうなったかというと、その大半は似たような役ばかりを演らされたあげく、不遇の俳優生活を送ることになったそうな。

 一生芽が出ない役者もいれば、はまり役にぶち当たってしまったがために、残りの俳優生活が無茶苦茶になった人間もいる。俳優生活というのも楽じゃないって事だ。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (7 人)草月 りかちゅ[*] スパルタのキツネ[*] アルシュ[*] kawa[*] ナム太郎[*] 水那岐[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。