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[コメント] グラン・トリノ(2008/米)

これがイーストウッドの集大成というのは間違いないでしょう。私自身も本当に良いものをいただいたと思います。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 一見して思ったことだが、本作はイーストウッド監督作品らしさと、らしくなさと言うのを併存した物語構成となっている。かなり初期部分に一回緊張する場面を持っていき、その後特有のダレ場を通って、一瞬のラストシーンへと転換していく、といういつもの形式を使っているのだが、昔の作風とは異なり、ダレ場があっても、物語を通して全然退屈しない上手が映えている。イーストウッドは特に映画での弛緩シーンを丁寧に作る監督で、それがかつては逆の作用を起こして作品全体をぼかしてしまっていたものだが、この作品ではそのダレ場をきちんと設定していながら、その部分を飽きさせなかったのが大きい。珍しくコミカルな演出を入れたお陰でもあろう。特に前半部分では劇場内で忍び笑いが結構聞こえたほど。ただし、その笑いというのが、あからさまな人種ギャグのお陰。笑ってしまった自分を振り返って自然笑いも自然後ろめたくなるが、これも狙っての事だと思われる。実際画面上には様々な人種が登場し、ウォルトやお隣さん達に様々なちょっかいをかけてくる。それをかわすために毒づいてみたり、他の人種を引き合いに出しては徹底的に毒づいて見せたりと、やりたい放題(当然日本もその中に含まれるが、同時にアメリカという国そのものに対しても毒づいてるので、バランスは取れてる)。その辺の前提があるからこそ、孤独なウォルトの精神と、その孤独を超えたヒーロー性を見せつけてくれる。

 イーストウッドほど、これまでのアメリカの映画においてヒーローを演じ続けた人物はいない。一貫したヒーローという意味ではジョン・ウェインという偉大な人物がいるが、イーストウッドの場合は、どんな作品にあっても一切一貫性がない。という点がとてもユニーク。『続・夕陽のガンマン』での、悪そのもののヒーローであれ、『ダーティハリー』の、はみ出し警官であれ、以降の刑事ものや西部劇もの。あるいは『マディソン郡の橋』や『ミリオンダラー・ベイビー』のような毛色の違った作品もあるが、どれを取っても、これまで演じてきたのとは異なった役柄に敢えて挑戦している。その中で成功したものもあるし、失敗したものもあるが、そのどれにあっても一貫しているものがあるとすれば、それは“自分の価値観”というものを大切にしている人物であるということだろう。

 自分の価値観というのは、社会生活において重要なものであるとともに、これが強すぎる人間は「空気読まない奴」と言われて排除される傾向にあるのは確か。だから、イーストウッドの演じたどのヒーローを見ても、誰一人空気を読んでる人間はおらず、それゆえに社会からははみ出してる役柄ばかりになってしまう。しかし、その価値観の中には、確かに優しさも含まれるし、自分の美意識が社会と結び付いている場所がある限り、社会のために戦うことも全く厭わない。

 そしてその価値観のために彼は常に戦い続ける。役柄によって戦いと言うのも様々で、彼が守ろうとしているもの、例えば家族、例えば赤の他人、例えば秩序、例えば教え子、そう言った、彼にとってはかけがえのないものを守るためには、様々な武器を取る。

 これまでの役柄であれば、その大半は銃を取る事が多かった。そしてそれ故にイーストウッドは明確に戦う存在としてのヒーロー性を持っていた訳なのだが、彼自身、戦いとはそれだけではないのではないか?と思い始めたようで、特に新世紀に入ってからのイーストウッド作品では戦いは様々な様相を呈している。例えばそれは『目撃』における、国家機密に関わるスキャンダルをどうすべきか、と言う問題であったり、『ミスティック・リバー』での、三者三様の自分なりの筋の通し方であったり、あるいは『ミリオンダラー・ベイビー』での、一人の生を受けきった責任の取り方であったり、『父親たちの星条旗』での、一般に流布される虚像ではなく、一生をかけて真実を語ろうとする生き方であったり、『チェンジリング』での、妥協しない生き方であったり。自分が主人公になろうがなるまいが、とにかくイーストウッドの中にあるヒーロー性というものを様々な形で世に送り出してきた。

 そしてその集大成。現時点でイーストウッドが持ちうる“ヒーロー性”というものを叩きつけたのが本作だったのだろう。

 ヒーローとは自分の価値観を持ち、その価値観のために、文字通り“命を賭ける”存在である事。そして、それは他者を救う存在である事。困難なこの二つの前提を見事に両立させて見せた。少なくとも、彼は、彼を取り巻くあらゆる命を守った。普通の文脈ではあり得ない決断であり、それを自ら選択したというその事実だけでも、どれだけ大きな意味合いを持つのか。驚くべき進歩であり、私の全く予想もしなかった、本気のイーストウッドの神懸かりな演技を堪能できた。まさしくこれこそ“衝撃”と言ってしまって良い。

 この作品で、ウォルトの決断を「歳を食った」とか、「イーストウッドも落ちた」とは言わないで欲しい。まさしくこれこそがヒーローそのものなのだから。

(評価:★5)

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