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[コメント] オースティン・パワーズ ゴールドメンバー(2002/米)

トム・クルーズ、ケビン・スペイシー、スピルバーグ・・・この映画にそんなものは求めていない。
東京シャタデーナイト

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ますますキワモノに走るオースティン・パワーズ。お洒落でお馬鹿で葛藤と愛があった1作目に比べて、キャラクター勝負にという安易な路線へ進み続けるオースティンパワーズにがっかりさせられる。

愛というのはマイク・マイヤーズが持っていた、60年代に対する愛であり、バカラックにたいする愛であり、ピーター・セラーズに対する愛であった。1作目当時、流行っていた60年代の風俗に対する憧れも手伝い、60年代からタイムスリップでやって来た(仮想ではあるが)スーパー・スター、オースティン・パワーズは圧倒的にアフォでギンギンで格好よかった。映画の中でも90年代にタイムスリップしたことで、60年代のスーパースターはまったく常識が通用しない葛藤があり、それでも60年代に対する愛を90年代にぶつける事で、60年代と90年代の両方を笑う事が出来たのが僕の雑感である。

 2作目からそのバランスが崩れ、3作目となるこの映画では、そんな楽しみは微塵も残っていない。 笑い所は単純なキャラクター勝負に移り、一瞬だけ70年代に走るも、結局は2作目同様、けむくじゃらのデブと、ミニ・ミーとわざとらしい日本の描写にほとんどを費やすようになってしまった。

 ドクターイーブルは常に小指を唇に当てるようになった。小人の動きでしか笑いのとれないミニ・ミーは常にイーブルの傍らにいるようになった。シリーズ化する度にキャラクターの守りに入るのは残念ながら必然なのかもしれない。それでも、オースティン・パワーズはあまりセックスをしたがらない腑抜けなった。色々なものを守る為に少し疲れてすらいるように見えた。そして最後は下らないジョークだろうが「感動を売り」にするようになってしまった。この映画を作る上で、先程述べた愛はあったのだろうか?

「あの馬鹿映画にあんな大物が!」これってそんなに面白い事なのか?オースティンパワーズの面白さってそんなものだったのだろうか?1作目と3作目が別物である事は十分承知の上だが、1作分の力しか無かったオースティン・パワーズにかなり真剣にがっかり。

(評価:★2)

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