コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] リダクテッド 真実の価値(2007/米=カナダ)

まとわりつく湿気のなかジャングルに潜む敵に脅え続けたベトナムが、濃密な閉塞世界であったなら、イラクはそこにいることの意義や目的すら実感できない、空疎な焦燥に支配された拡散世界だったようだ。確かに、拡散する世界に物語など見い出せるはずはない。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







アフガニスタンでは戦うことにまだ意義を感じたが、イラクでは戦う意味や目的すら見出せなっかと帰還兵マッコイ(ロブ・デヴァニー)は語る。戦う目的、すなわち闘争心なきまま、日がな砂漠の只中に立ち続ける兵士たちとは、まさにただの標的ではないか。サッカーに興じる子供たちを横目に敵の奇襲に脅えながら、もはや敵兵との交戦という戦場での唯一のコミュニケション手段すら奪われた若者き兵士たちの空疎な焦燥。そんな世界に、濃密な物語など生まれるはずがない。そこにあるのは、無機質なレンズを通し体温を遮断された映像のように、延々と繰り返される戦地という非日常的日常だ。

この映画には、物語りなど存在しない。だからこそブライアン・デ・パルマは、この「物語なき事件」の再構築にあたって、プライベートビデオや基地の監視カメラ映像(この二つは意思のない映像だ)、さらに外国のテレビ取材やWebで公開されるプロパガンダ映像(こちらの二つは逆に過剰に意思を含んだ映像だ)といった二次的映像のパッチワークという手法を用いたのだろう。なるほど、うなずける選択だったようにも思う。何故なら、映画(=スクリーン)のなかの二次映像は、被写体の体温を奪い「物語なき事件」に一定の客観性と説得力をもたせることができるからだ。

しかし、私にとって最も印象に残ったのは、炎天下のなか重装備をまとい警備にあたる兵士たちのショットによって構成された検問所のシーンだった。このパートは、テレビの取材映像をよそおいつつも、先のあからさまな二次映像ではなく、BGMにクラッシク音楽が流れる演出がほどこされた一次映像(映画キャメラの映像)で構成されていた。そこには目の前で繰り広げられる異国人たちの日常を、悄然と眺める目的を失った若きアメリカ兵たちの焦燥と諦観が演出されていた。この焦燥と諦観が、ラストの民間人犠牲者たちの写真と結びついたとき、いや、結びつけられたときに映画は、この「物語なき事件」のなかに物語を見い出す可能性をもっているのだと思う。

本作の手法(告発の手段)が安易過ぎるとまでは言わないまでも、同じ「何もない戦い」の虚しさや残酷さを告発した作品ならサム・メンデスの『ジャーヘッド』(05)の方に、私は映画の力と影響力の可能性を感じてしまう。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)けにろん[*] 3819695[*] ペペロンチーノ[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。