[コメント] コロンビアーナ(2011/米=仏)
ストーリーは軽薄だが、と言うかだからこそか、語り口の重厚さが楽しい。楽しんで別に損のない作品。楽別損(←?)。
街中で跳馬・あん馬をこなすみたいな(パルクール的とも言う)街頭追跡劇は映画の狭いスクリーンを躍動感で満たす。これを最初に発見したのはかなりの確率でリュック・ベッソンだ(『ヤマカシ』)。火炎濃度満点の爆発シーンは相当の高速撮影をスロー化しても十二分に充足感がある。これもベッソン系列アクション作品でいくらでも観た。泣き虫の殺し屋なんて、まさにあばらかべっそんだ(←?)。
ひとの物を勝手に借りたら盗みだが、自分の物なら盗みとは言えない。だから本作は、パクりではあってもひょうせつではない、のかもしれない。だがオリジナリティがないことこの上ない。
例えばこんなシーンがあった。エミリオが、突如街中で拳銃を撃ちまくり(たぶん巻き添えも)、姪・カトレアにこう迫る。「そんなに殺し屋になりたいなら今すぐ教えてやるが、5年で死ぬぞ! 生き延びたいなら人を知り、己を知り、世間を知れ! どっちを選ぶか、今ここでお前が決めろ!」。ハチャメチャだしリアリティのかけらもないが、こういうとこがオリジナリティで、やっぱ楽しい。本作は、大量のパクりを少量のオリジナリティで繋いだだけの作品、なのだろうか。
そうでもなかろう。パルクール(的追跡劇)を上から下から捉える構図、アングル、その展開。火炎が充満する室内空間の、その空間設計。殺し屋の追いやられる抜き差しならない状況設定。こういうところに無数のオリジナリティがあり、その宝庫なのだ。だからこんなに楽しめるのではないか。
80/100(24/2/6記)
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