[コメント] ディア・ドクター(2009/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
偽医者という、この映画で西川美和が持ち出してきたフィクションは、”僻村(だから)”という舞台設定をもってしても、ほとんど破綻してる。だが、よりリアル・ワールドを装ったところで、どんな話になるのか予測はつかない。重苦しい話になってしまうのは避けたかろう。
◇ ◇ ◇
昔、『武士の一分』という映画があり、私はそれを「こいつ(=主人公の侍)はそもそも武士としての本分を果たしていない。本分を果たしていない輩に一分もへったくれもあるものか」と批判した。本作で言えば、そもそも偽医者の鶴瓶に、医師の本分はおろか一分さえあろうはずもない。
だが、僻地で生きていくためには、村人たちの求めに応じ、期待に応え、責任を引き受けていくしかない。そしてこれは、どこの世の中でも実は普遍的にあてはまる。鶴瓶の演じるキャラクターは、そんな<人としての一分>は果たす、あるいは果たそうとしている人物像として、着実に焦点を結びつつあったと思う。
だから、井川遥との対峙シーンで、彼女の<本物の医師としての当然の追究>を上手くかわしたはずの鶴瓶が、彼女の次の帰郷が1年後だと聞いて逃げ出してしまうのは、なにはともあれ唐突過ぎるのである。
だが仮に、偽医師としての一分が、真医師の領分を侵さないというものだったとすると(知らんけど)、一応、理屈は通っていると言えるのか。あるいは、ドラマが形の上で否応なく必要とするアクセントだったにすぎないとか。振り返って冷静に考えれば、飲んで飲み込めない設定ではなかったかもしれない。
観ていて思ったのは、物語というものがすっかり成立しずらくなった今の世の中で(・・・)、これだけの物語を一から考えて形にまとめるのは凄いなあ、ということでした。
75/100(2010/06/05記)
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