[コメント] ファインディング・ニモ(2003/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
大人も子供も目一杯楽しませてくれるのは、さすがのピクサー、ディズニー。子供のための映画のようでいて、子供を連れた親たちの方もしっかり向いているあたりは、劇場版『クレヨンしんちゃん』と同じようなスタンス。
でも、『クレヨン……』が作り手も一緒になって悪フザケしているようなノリがあるのに対して、鉄板のマーケティングでキッチリと作りこんであるのはさすが。
『オトナ帝国の逆襲』で、オトナたちに向けられたシカケは、「銀玉鉄砲」や「最大公約数的田園風景」で、日本国内ですら全般のシンパシーを受けられたわけではない限定的なものだった(客層のことを考えたら、そう外してはいないにしても)。
ところが、さすがに巨大なマーケットを抱えているハリウッドは、大人イジリのネタとして「断酒会(断“魚”会だけど)」や、パートナーを喪失したバツイチお父さんが「新しいパートナーを得るまで」といった、極めて現代的なモチーフをさらっと持ってくるあたりがスマート。
でも一方では、細部のディテールのアメリカン的部分がやや鼻についた印象もある。
例えば胸ひれが片びっこであることに対してチャレンジングであるニモと、それを受け入れる同級生との関係性の描写。
同級生たちが「チャレンジング・ニモ」を受け入れる過程(というか描写、何しろちょっと会話しただけで終わってしまう)があまりにもシンプルなので、その「通過儀礼」が通り一遍の「お約束」、単にうすっぺらいPC的な配慮にも見えてしまう。
また「海の仲間たち」という世界観にも、恣意的なフィルターがかかっているようにも思えた。
海の仲間はみんな友だち。魚類だけではなく軟骨魚類や軟体動物もみんな共通言語を持っている。水棲ほ乳類とだってどうにかコミュニケーションはとれる。断魚会活動をしているサメは友だちだから、やっぱり話をすることができる。
ところが、同じ魚類でも、ニモの母や兄弟たちを襲ったアリゲーターガーのような肉食魚は決して言葉を発さず、マーリンやドリーを傷つけるクラゲもまた言葉を持たないかのようだ。
「種族が違っても、共有言語を持っていれば友人。同族でも会話が持てなければ他者、むしろ異生物」。言語や宗教、政治体制に関して言えば、欧米では今もそういった前時代的な価値観が生きている、ということが思い出されてしまったのは斜に構え過ぎだろうか。
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作品そのものはというと、『モンスターズインク』ほどの新鮮な驚きはなかった。ストーリーそのものは軽妙でテンポはよいけれど、その分歯ごたえも無い。サラッと入ってきて、同じようにサラッと抜けていったような気がする。
たしかにCGによる水の描写はすばらしいけれど、技術見本市ではないのだから作品そのものとは一線を画して評価すべき。
ともあれ、TDRに「ニモ・アドベンチャー」みたいなアトラクションができたら一度は乗ってみたい、なんてことを思った。ウミガメの海流ライドみたいなものがあったら結構迫力のあるアトラクションになると思う。
この作品自体、映画というよりは、そういったアトラクションのようなものだったのかもしれない。
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