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[コメント] キル・ビル(2003/米=日)

彼が愛したのは東映「実録やくざ映画」であって決して「任侠映画」ではない。故に耐え難きを耐えた後のカタルシスが不在なのだ。だいいち深作は「任侠映画」など1本も撮った記録は無い。
sawa:38

深作欣二は東映の方針で鶴田浩二と渋々組まされて『解散式』『博徒解散式』『博徒外人部隊』を撮った。古き良き「任侠映画」の大スターが自身のスタイルを崩さない姿に相当手こずり、深作が企んだ「任侠映画の崩壊」と対立して確執が残った。

上記の作品の内容も、古き良き任侠に生きる男たちが時代の奔流の中で次第にヤクザ社会に飲み込まれていくというものである。時代はリアルさを望み、時代がかった男たちの任侠道よりも、単純な暴力が最後には勝利してしまうという力の論理にリアルを感じ喝采を贈った。『仁義なき戦い』の完成である。

「実録やくざ映画」には耐え難きを耐えた後のカタルシスが不在だ。人物に感情移入していく深みはないのだ。(個人的には好きなジャンルですが・・)

本作は復讐劇である。梶芽衣子がリスペクトされているように『女囚さそり』『修羅雪姫』のシリーズがモチーフになっている。梶の両シリーズでの演技は凄まじいものがあった。「怨み」という情念をあそこまで表現出来るのかというぐらいの「目の演技」を忘れることはないだろう。それに対しユマ・サーマンからその手の「怨み」の念は伝わってきたか?

クエンティン・タランティーノは決定的な間違いを犯したのではないか?暴力描写で深作にオマージュを捧げるのは大の深作ファンとしては嬉しいかぎりだが、ヒロインをじっくりとじっくりと描きその果ての爆発を描いて欲しかった。つまり梶芽衣子にこそオマージュを捧げて欲しかった。せっかくのスーパーヒロインの誕生である。あんなお手軽なエピソードだけではユマ・サーマンが勿体無い。だからアニメではあったがルーシー・リューのエピソードの方により感情移入してしまうのだ。

追記、「女」を描く事が出来ないと酷評され続けた深作よりも、「任侠」を語るならば『緋牡丹博徒』の藤純子を研究してコラージュしてみたらそれは凄い作品になっていたんじゃないだろうか。梶芽衣子の両作品への想いが一層募る結果となった今晩であった。

(評価:★3)

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