[コメント] 活きる(1994/香港=中国)
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冒頭から序盤は異様に腹立たしかった。主人公、福貴が賭け事に熱中し財産までも失うという自業自得さが受け付けない。この主人公をこれから先、素直に受け止めていけるのか?と思わせるほど。展開も都合よく短縮しているように見え、希薄な感があった。戦場のシーンにしても死体がたくさん転がっている様には見えず、人形が敷き詰めてあるかのように見えた。40年代と題された序盤は先行きが不安に思われる内容だった。
だが、50年代〜60年代へと話が進むにつれて不安要素は下降線を辿っていった。最初は嫌いだった福貴だが、時代が進むにつれた人間像にもどこか変化が見られ、その姿はしっかりと受け止められた。激動の時代背景の中で、ユーモアも交えながら語っていくこの映画にだんだんと惹かれていき、最初は否定的だったにも関われず、最終的にはかなり評価が高くなっていた。前半が好きで後半が落ちてきたという映画も良くあるが、全く逆のタイプだった。映画が良かった要因にクー・ヨウやコン・リーの演技もあるし、チャン・イーモウの手腕の高さももちろん伺える。
映画のタイトルが『活きる』(中国語でも「活着」、英語でも"To Live")だが、活きるということをよく表現していたと思う。福貴と家珍の夫婦は激動の時代の中で、時代の象徴的な事件として、まず息子、有慶を失う(影絵芝居中の福貴が唐辛子入りのお茶を飲まされるという暖かいユーモアのあるシーンの直後なだけに非常に悲しい。しかも有慶の表情が良いだけに悲しさが増す。子供を撮らすとチャン・イーモウの演出は本当に冴える)。悪気はなかったと言えど、事実として福貴の戦場での友、春生の間違いで有慶この世を去る。この事件あって家珍は春生を恨み続けるが、60年代の流れの中で春生は追い込まれる。その際に福貴が「辛いのはわかるが我慢しろ、耐え抜け。」と、家珍も「うちに借りがあるのを忘れないで。生きるのよ。」と言う。これこそこの映画の一番伝えたいことなのだと思った。揺れ動く時代の中で、様々な挫折、苦労を味わってきた福貴と家珍。このふたりの台詞から「生きる」という言葉が聞かれると、抜群の説得力がある。今まで辛いながらも諦めず生きてきた二人からは、「生きる」ことの大切さをひしひしと感じさせられる。
ラストシーンも映画を良く象徴してたと思う。以前に福貴が有慶に言った台詞が形を変えてマントウに語られる。以前は「牛の次は・・・共産主義だ!」だったのが、「牛の次は・・・マントウが大きくなる番よ。」と変化する。以前は共産主義化でそれに従い生活してきたが、子供をふたりとも失ったことなども受けての変化だ。福貴の家の外壁に描かれた毛沢東の絵も色褪せていたし、時代に沿って共産主義を称えていたシーンもあったが、この映画は直接的過ぎずに激動の時代を作った共産主義への批判が見られる。これがあまり直接的過ぎても間接的過ぎても良くないのだが、この映画では適度だと思った。そして、失った人もいるが、親類4人での団欒シーンからそのままエンドクレジットへ。団欒を見ていると本当にこの映画の良さを感じた。政治的な部分も外せないが、やはり家族の存在や映画のテーマである生きることを描いた人間の本質的な部分がとても心に響く。
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