[コメント] 鬼が来た!(2000/中国)
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「あざとい」ということに関してもう少し云うと、たとえば動物の使い方。鶏もそう、馬の交尾もそう、豚の闖入もそう。とりわけ斬首直前のチアン・ウェンの首に蠅を止まらせるところなんて。あるいは音楽の機能ぶりも。またラストの斬り落とされた首のカットや、その首の主観ショット、さらにはそれをカラーにしてしまうなんていうのも実にあざとい。これらに限らず全篇にわたってあざとい演出が横溢しているわけだが、むろんそれは頭がよくなければできないことであるし、あざとさもここまで徹底すれば立派なものだろう。しかし何より胸に詰まるのは、これほどのあざとさをもってせねばこの物語は語りえないと演出家が判断せざるをえなかったことだ。
後半の宴以降の展開については、確かにショッキングではあるけれども、それはむしろ物語論的には必然の展開であろう。要するにこれは、宴の場面で虐殺が起こり、ウェンが日本兵を殺し、香川照之の手でウェンの首が撥ねられなければ収まりがつかない物語であるということ。この映画は私たちの「生」が決して「物語」から逃れられないこと、云い換えれば、私たちの「生」という複雑きわまりないものでさえもたやすく「物語」に還元(物語化)されてしまうことをよく表現していると思う。
最後に、この映画が非常に「密着度」の高いものであることを指摘しておこう。それはまずクロースアップの多用や画面上の人物配置(たとえば、村人が香川の処遇について相談する際、彼らは必ず身を寄せ合う)が示しているが、「武器」にもよく表れている。この映画に登場する武器はもっぱら刀などの刃物であり、ウェンの日本兵殺戮や斬首はもちろん、宴での村民虐殺においても用いられるのは刀(剣)のみで、銃による殺人は行われない。ここで銃と刃物の映画的な差異とは、刃物は銃よりも遥かに距離的な近接を必要とする小道具だということである(確かに映画の冒頭において「私」は銃を持っていたが、その銃口はウェンの額に押しつけられてはいなかっただろうか)。このように「密着」する人々にあっては、各々の立場は容易に入れ替わり、また狂気は相互に刺激され、そして喜劇と悲劇は目まぐるしく反転するだろう。しかしそれを描くウェン自身はまったく映画に対して密着などせずに醒めた目を保っている。このクレバーさは相当なものだ。
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