[コメント] ビューティフル・マインド(2001/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ラッセル・クロウは凄い。
この骨太なオージーは分裂症の数学者を見事に演じきっていた。特に手首に埋め込まれた機器を取りだそうとして何も出てこない現実に落胆する際にみせた表情、特に目は、アカデミー賞に値する演技と断言できる。
しかし主演男優賞はデンゼル・ワシントンの手にわたった。2年連続外国人にあげるわけにはいかなかったなどという穿った見方もあるが私の見解は次の通りである。
h(6.5:3.5)+sem<h(7.5:2.5)=Max
この式における数字は髪の毛の分け目を表す。冒頭のラッセルは7:3分けよりも微妙に分け目を端に追いやっていた。博士過程の青年時代、ラッセルは奇妙な青年であることを観客にわからせなければならない。そこで髪型を微妙に崩し、そこはかとない「危うさ」あるいは「奇妙さ」を演出する。
ひとつの理論を完成させ、社会的に認められるようになると髪型は7:3になる。ここでは暗号解読という才能を生かした仕事に従事することになるが、実は「幻覚」「妄想」であった。つまり、7:3分けの「まともな髪型」により観客を安心させておいて「妄想」を「現実」であると騙すのだ。
その後「妄想」の発覚と共に奈落の底に落ちるが、ここでは6.5:3.5分けと乱れた髪型を使い分け、心の動揺と安定を巧みにみせる。
しかし、しかしである。
ここからがよくない。その後の半生は一気に描かれ、髪型は次第に意外な方向へ変化していく。これまでは横のズラシ、つまりX軸の大小(分け目の位置)で微妙な演出をしていたのだが、年齢を重ねるとY軸の概念が加わる。生え際が少しずつ後退してしまうのだ。デニーロはその昔アル・カポネ役を演じるにあたり髪の毛を抜いて役作りしたというが、ラッセルは特殊メイクの力を借りた。
その不自然さはラッセルの演技を打ち消した。
更に歳をとると髪の毛の色を変えたり、皺を出す為の特殊メイクで変な皮膚感になり、もはや演技などには目が行かない。これはある意味Z軸の出現である。さりげない演出には拍手をするが過剰な演出に演技が壊れていくのだ。三次元マルチ演出のおかげで前半から丁寧に描いてきた人生は一気に作りモノじみてくる。
ジェニファー・コネリーは後半の出番が少なかった為か特殊メイクの印象は薄い。女性の場合老齢になっても髪を減らさなくていいことも大きく影響し、そのおかげか前半の「目の演技」が際立ち、見事オスカーを手に入れられた。
と、私は思っている。
さて、数式におけるMaxとはいうまでもないが、グラディエーターの主役マキシマス将軍のことである。semはspecial effect make-upのことであり、これを使わなければマキシマス将軍同様にオスカーを手にするレベルの演技であったことを表している。
この映画にとって致命的なことは、皮肉なことだが老いた数学者の晩年の感動物語だった。
ラッセルの髪の毛の量がすごくh(8:3)のシーンも多かったことと、幻覚出演を全うしたエド・ハリスはいつものようにh(0:0)だったことも付け加えておきたい。
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