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[コメント] ミツバチのささやき(1972/スペイン)

たとえば、母親が自転車で駅に向かうところから列車の到着までを綴るカメラワークと「蒸気」の画面。「井戸の家」初登場カットのカメラポジション。ここまで映画の純度を高める作業に傾注すれば寡作になるのは必然だ。エリセの唯一の欠点は「映画」を知りすぎていることだろう。すべての風景に心を引き裂かれる。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







例によって私もアナ・トレントに魅了されたひとりなのだが、改めて彼女を注視していると、その瞬きの少なさに驚かされる。彼女は常に大きな円い瞳を開き続け、何かを見ている。それは、主題の水準で云えば、彼女が「見る人」であること、より正確には「見ようとする人」であることの裏付けであろうし、撮影現場の水準で云えば、彼女がしっかりと自覚的に(つまり「女優」として)演技していることの証だ。

さて、『ミツバチのささやき』は少女の自我の芽生えを描いた映画である、などと云ってしまえば、途方もなく豊かなこの映画をあまりにも一面的に規定してしまうことになるが、やはりラストの「私はアナです」が「語りかけ」であると同時に「宣言」であることに違いはないだろう。「私はアナです」それは「私はアナ以外の者ではない」ということだ。その自己同定に至るためにこの映画が必然的に用意したところの「孤独」が私には痛い。トレントは孤独だ。トレントと姉は一見仲睦まじいし、一見どころか心の底から仲がよいのかもしれないが、数々の出来事がトレントに彼女と姉の相異を残酷に突きつけ、エリセの時間・空間演出がそれをフィルムに焼きつける。自分は自分であること、自分は自分でしかないことの痛みがトレントと私を襲う。最も普遍的な映画はいつも私的だ。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)tredair[*] 緑雨[*] ゑぎ[*]

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