[コメント] 座頭市と用心棒(1970/日)
生きていくために飯を食わなきゃならないし、金を稼がなきゃならないリアリティーが青年漫画の主人公だとすれば、金を稼がんでも飯を食わんでも誇りや正義という名の霞を食ってりゃ生きていけるファンタジーが少年漫画の主人公だ。
座頭市は青年漫画の主人公であるがゆえに、我々はむしろ大人になって見直してみて感銘を受ける。が、用心棒は少年漫画の主人公だった。飯は食うし、金は取るが、しかし、あの淀んだ街角で彼は独り生存競争を超越していた。そのファンタジーゆえに、ガキの時分に、用心棒のかっこよさは余すところなく伝わってきた。座頭市は、むしろガキの時分には見るのが怖かった気がする。ファンタジーが通用しない世界だったから。さて、この映画の世界は座頭市の世界である。青年漫画の主人公の方は良い。いつもと一緒で良いのだから。しかし、少年漫画の主人公の方は、現実世界に迷い込みオーラを失ってしまったかのようにも、或いは幼少に夢見たヒーローが年を取り現実に追いつかれて普通のオッサンに変わっちまったようにも見えて寂しいものがあった。そこに悲哀を見て取ろうとすれば取れるように、喜八は作ってあるんだけれども、俺はあんまりこれ見たくなかった。
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