[コメント] この森で、天使はバスを降りた(1996/米)
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誰かに必要とされること。 それがパーシーの一番の望みだったのだろうか。
邦題では、パーシーが天使であるかのような先入観をもってしまう。けれど、原題は「スピットファイア食堂」。ハナの食堂の名前。
天使とあえて言うなれば、パーシーは天使でなく、天使になりたかった少女(21歳は女性か)だったのではないかと思う。
ある日、パーシーは羽を拾う。それは、イーライが落とした羽だったのだが、それこそ天使になるための切符だったのではないかと思う。イーライもまた、人間の残酷さを目の当たりにし、神に近いところへ行きたかった。だから二人は、目に見えない何かを感じ、共有出来たのだった。
草原で歌声が響く。その安らぎ、頭に当てられた手のぬくもり。 彼女が一番欲しかったもの、それは「許し」だったのではないか。小さな命を救えなかった自分を許して欲しい。しかし、彼女の心が純粋な分その傷は大きく、決して癒えることがなかった。
パーシーは、自分の幸せは望まない。 だからこそ彼女は美しかった。その心の美しさは、外見と先入観でなかなか人には理解されない。それが一番の悲劇だった。
天使の羽は何色?白?それこそ先入観なのだ。
天使にはお金は要らない。
鳥の置物を作るために紙幣を切り刻むイーライと、お金にならない森を宝物だというパーシーは、封建的で先入観の固まりの村人には理解できない天使に近い存在だった。
一人の女性の死が村を変えた。村人は、自分達の愚かさを知る。
パーシーは天使になったのか?
彼女は春風だった。凍り付いた村人の心を溶かした春の風だった。歌うように、流れるようにまた春の訪れと共に、彼女の事は村人に語り継がれるだろう。そう望みたい。
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