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[コメント] 福田村事件(2023/日)

生粋の殺人鬼や、邪悪な価値や正義を妄信する者が大量の人の命を殺めたとして、せいぜん二桁の域だろう。何百、何千、何万の人の命を奪ってしまうのは、たいてい自分を信じることができなくなった善良な人々の集団だ。そこでの悪者は誰だという問いはとても虚しい。
ぽんしゅう

少し乱暴な言いようだったかもしれません。もちろん失われた命の数で罪の軽重を図る意図はありません。言いたいのは、自他ともに善良を標榜する人でも猜疑心なしに生きられないし、私だって心の暴走や感情の爆発を止める自信などないということです。

まず佐伯俊道(久しぶりに目にする名前だ)/井上淳一/荒井晴彦によって緻密に組み立てられた脚本が素晴らしい。いたずらに戦間期の時世や国家権力といった大きな主語にたよらず、集団の暴走の芽を個々人の心情(生活)にまでさかのぼって丁寧に組み立てるアプローチに脚本チームの真摯さを感じました。

体裁や妬みをめぐる性愛の恩讐。軍隊の形式と権威にアイデンティティを見いだす市井の男ども。そんな日常を受けうわさ話として消費する多勢。村人たちの閉鎖された日々の生活にはカタチにならない猜疑心が滓のように溜まっているだろう。

その対極として、定住よりも放浪することで世間との折り合いを図りながら、仲間うちに閉じらえた「限定的な自由」のなかで生きる被差別部落の行商団が対置される。そして村(閉塞)と集団(放浪)を結ぶのは、川筋という境界を往来する帰属が曖昧なはぐれ者の渡し船の船頭(東出昌大)だ。

前半、そんな登場人物たちの「個と集団(世情)」との葛藤が丁寧かつテキパキと描かれる。その個々人が迷い躊躇しながらも徐々に集団(世情)に埋没していき暴走する。その暴走の蓋然性は、新聞社の記者と上司の対立、水平社宣言を得た被差別部落民と朝鮮飴を売る少女の孤独、亀戸事件を思わせる社会主義者と官憲の攻防、といった随所に挿入された不安定な世情のエピソードによって説得力をもって補強される。

そして永山瑛太を筆頭に俳優陣の好演を得たクライマックスでは、村人たちと行商団の一触即発の緊張感を絶やさない森達也の演出(編集)の緩急が冴える。久しぶりに固唾を呑んでスクリーンを見つめる体験をした。

悪者は誰だという問いの虚しさ。その「瞬間」に悪者になってしまった人だって、本来は私(あなた)と同じ善良な小市民だったということ。人の心は脆弱だということ。その脆弱性に乗じて心の隙間に侵入しようとする大小を問わない「なにもの」かが世の中には存在するということ。しんどいことだが心の脆弱さを自覚して、まずは「いや違うはずだ」と、何ごとにも抗ってみるしかないような気が「私」はする。

最後に、ATGが活動を停止して30年。大手の映画会社では決して成し得ない、これほど無遠慮で気骨のある作品がベスト10入り必至の完成度で、旧若松プロの座組にロマンポルノの全盛期を担ったベテラン脚本家が加わり、学生8ミリ映画出身のフリーの映像作家が監督するという裏日本映画史的「荒くれチーム」の手によって生み出されたことが、斜陽期の日本映画を支えてきたインディペンデント映画ファンとしてとてもうれしいです。

(評価:★5)

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