[コメント] いつかギラギラする日(1992/日)
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「若いもんの考えることはわからん」ってことなんでしょうね。人間は理解できないものを恐怖し、だからこそ年輩者には若者が恐ろしく見える瞬間がある。行動の規範が判らない、意味が判らない。そんな不安の象徴が「奇声を上げる」って表現なんだと思います。だけどテンション上がるあまり奇声を発するなんてのは、普通は3、4才の幼児なわけですよ。要は普通の年輩者が理解し得る=描き得る無軌道っていうのは、幼児的な行動までが限界だってことなんです。そういう点でいうと『荻野目慶子』の「注目されたい欲求」っていうのも非常に幼児的な欲求であるわけで、結果それらによって「現代の若者たちの幼児性」が表現されることはあっても、それがそのまま「現在の若者像」を切り取ったとは言えないんじゃないかと思うんです。あくまでそこに見えるのは「年輩者から見た若者の一面」であり、「生きた若者像」じゃない。その辺りの弱さが今作から「ゾクゾクするような緊張感」を失わさせている気がしました。ズレた若者像が弛緩の効果ばっかり上げちゃってるんです。
まぁそれを言うなら萩原健一らおっさん組にもリアリティなんてないんですけどね。でもこっちはいいんです。何故なら作り手や演じ手が「この世代の格好良さ」をしっかりと理解しているから。おっさんなりの魅力の出し方をしっかり判ってしっかり描いているから、それがいくらリアルでなくても、観ているこっちはそれが呑めちゃうんです。結局のところ、バイオレンス・ファンタジー的な物語であるにも関わらず、制作者の「現実の理解度」がそのままキャラクターの深みになって表れてしまったってことなんでしょう。もちろん「木村一八より萩原健一の方が現実的に無軌道だ」とか「僕が個人的に荻野目慶子が嫌いだ」とかいう理由もあるんですけど。
ただ、そんな歪な物語でもそれなりにしっかりと魅せてしまう深作節は健在。萩原健一のナチュラル無軌道と相まって、要所要所で非常に香ばしい香りを醸し出してくれていました。特に良かったのは石橋蓮司が現金独り占めを図ろうとするシーンの緊張感。あ、あとラストの「せめて好きな歌の一つでも歌って死ね!」。僕もいつか誰かに言いたいセリフです。さて、じゃあそろそろロックしてこよう、ロック。
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