[コメント] 生きてるだけで、愛。(2018/日)
生きていること以外、何もできない女(趣里)を自然体で受け入れているこの男(菅田将暉)の不思議なスタンスは、いったい何に由来しているのだろうか。憐みや同情、いたわりや思いやりでも、優柔や依存、好奇心やおせっかい、義務や使命感でもなさそうだ。
するとやっぱり「愛」なのだろうか。とてもピュアで心地よい。これが本来の意味の純愛映画なのではないかと思う。
私の周りにも、この寧子という女と同種の病を抱え込んだ人たちがいた。思い返してみると片手では足りない。そのうちの三人は自ら命を絶った。寧子の過眠障害という症状は躁鬱病の発症者が引き起こす場合が多いらしい。躁を発症した知り合いに、私も私の家族も引っかき回され散々な目にあった嫌な記憶がある。
趣里は、何にはばかることなく、そんな“嫌な女”を誠実に演じる。そこに病める者への媚や遠慮はまったくない。嫌な女の、嫌な言動を、いちばん嫌がっているのは、他ならぬとうの寧子なのだ。その戸惑こそが寧子の正直さの証しであり、蟻地獄のような苦悩の元凶なのだ。趣里という女優の“病める人”に対する気負いのなさが寧子の素直さにだぶるのだ。
私は『水の声を聞く』とう映画で趣里という女優さんを知った。彼女の映画デビュー作だと思う。不思議な存在感のある人で、とても気になって調べ水谷豊と伊藤蘭夫妻の娘だと知った。以降、たまたま彼女の出演作をすべて観ている。出番の少ない役が続いたが、どの作品でも強烈な印象を残す人だった。そんな彼女の演技者としての力量が並ではないことが本作で実証された。楽しみです。
余談ですが、水谷豊と原田美枝子の娘さんが同じスクリーンに登場したという符合は、42年前の『青春の殺人者』に狂喜した者にとって驚嘆の事実なのであります。本作では叶わなかった趣里さんと石橋静河さんの“からみ”が観られる日まで映画館通いを続ける所存なのであります。
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