[コメント] ペコロスの母に会いに行く(2013/日)
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『恍惚の人』『花いちもんめ』と、日本映画はすでに認知症を取り上げた傑作を持っている。本作をこれらと比較したとき、真っ先に判るのは受入施設の改善状況で、それぞれの時代を正確に反映していると思われる(仕事で関係した自分の実感でもある)。主人公の岩松了は、仕事が忙しいからという理由で母を施設に入れてから失業する。じゃあ自宅へもう一度引き取ればいいのになぜそうしないのか。特に説明はなかった(と思う)が、明らかに施設が気に入ったからだ。これは、前二作の時代にはあり得なかった。森繁久彌の壮絶な彷徨も千秋実の夕陽への咆哮もなく、森崎はただこのグループホームをユーモラスに慈しんでいる。世の中変わったものだ。
怒りの人情家・森崎の得意技はだから本筋では発揮する場所がなく、赤木春恵の回想にぶち込まれた。不満なのはこの部分でもうひとつ地味、例えば成瀬の凸ちゃん映画のような閃きを原田貴和子に与えられていない。しかし庭先で縄跳び遊びをする少女を縁側から捉えたショット一発で観客を納得させる映像作家ぶりは剛腕と云わざるを得ない。 クライマックスの『8 1/2』な出演者総覧は手垢のついた手法だが、認知症という背景が別の意味をもたらしている。大切なのは原田云々ではなく、赤木・原田の往還であり、人に歴史ありという平凡な事実なのだろう。
「認知症は悪いことばかりじゃない」という岩松の優しい述懐は立派。本作は漠然とではあるが、そのためには仕事など手を抜けと提案している。大多数の介護者はそうはできない、経済の仕組みがそうはさせてくれない、施設が幾らかかるか知っているのか。そういう批判は多分的外れだろう。岩松のようにしないと充実した介護はできないのであり、変わらなくてはいけないのは経済の仕組みのほうである。遠い将来、本作は予見的と呼ばれるかも知れないと思う。
一番面白いギャグは駐車場で待っている赤木か。「子泣き爺が迎えに来たのよ」と近所の小学生の怪談話になっているのを聞いて悄然とする岩松には共感を禁じ得ない。一方、竹中直人が鬘だというギャグは、いくらなんでも引っぱり過ぎだろう。
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