[コメント] シャニダールの花(2012/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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どうにも煮え切らない語り口に私の眉間にも皺が寄りがちだったところ、古舘寛治が「ネアンデルタール人は花に寄生されて滅んだんである」か何か寝惚けた風のことを発言。私はハタと膝を打った。なーんだ、これは植物侵略系の映画だったのかと。
映画における「侵略者」とは、史上の戦争紛争に材を求めるのでもない限りはたいてい「異星人(およびそれに準ずる何やかや)」であると相場が決まっている。ここで敢えて「侵略」の定義は曖昧にしたまま論を進めるけれども、単位が「国民」であれ「部族」であれ、あるいは人類といった「種」であれ、被侵略者は集団であるはずだ。そして支配するにしろ根絶やしにするにしろ、被侵略者が占めていた地位を取って代わることが侵略者にとっての侵略に違いないのだから、原則として侵略者もまた集団であることが常だ。したがって、どれほど強大な破壊力を誇っていたとしても、突然変異的であったりして個体の絶対数が極少のモンスター類は侵略者になりがたい。
むろん侵略者が必ずしも異星人であるとは限らない。『ターミネーター4』においては意志を持ったらしい機械を侵略者と見做し、これを「機械侵略映画」と呼ぶこともできるだろう。また、侵略者の要件として意志や知性を重視しない立場を取るならば、多くのゾンビ映画におけるゾンビも侵略者に位置づけられるかもしれない。してみると「幽霊侵略映画」に挑戦した黒沢清『回路』の独創性が改めて身に沁みるというものだが、問題は「植物」である。
植物が侵略者となった映画などかつてあったのか。管見の限りではまず『人類SOS!』を数えることができる(ただし、この映画版におけるトリフィドは外宇宙由来の生命体だったはずで、ニアリーイコール異星人として扱うべきかもしれない)。作中では敢えて明確にされなかったが、M・ナイト・シャマラン『ハプニング』もこれと近い感触を持っている。
そこで『シャニダールの花』である。古舘の言を真に受けることを大前提とすれば、「煮え切らない語り口」の正体がここで判明する。すなわち、ちょうど類人猿侵略映画『猿の惑星』に対する『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』のように、『シャニダールの花』は植物による侵略(あるいは侵略後)を描いた映画の前日譚であるかのごとく撮られている。先立って存在するべき『猿の惑星』がないままに『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』を撮ってしまったに等しい『シャニダールの花』に「煮え切らない」印象を受けるのは必然の理だろう。
さて、云うまでもなく、以上は激しく偏った見方であるということに留意されたい。
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