[コメント] のぼうの城(2011/日)
なるほど野村萬斎は当て書きされた役であるかのようによく演じている。ただし、作品そのものまでもが彼の人たらし的魅力をまったく自明のものとして、まるで懐疑の対象としていない点は観客の反発が付け入る隙となるだろう。云い換えれば、このキャラクタ配置には「在って然るべき」一ヶ所が欠けている。
それというのはつまり「初め野村の魅力なるものを白々しいものとして敬遠しながら、後に彼の覚悟なり誠の心根なりに触れて改悛、さらにはそれによって戦局において決定的な仕事を果たす」キャラクタである。強いて云えば中尾明慶がそのように書かれてはいるが、その私情を強調することはむしろ観客から彼を遠ざけて、彼の役割を矮小化してしまうだろう。
さらに云い換えれば、ここで必要とされているのは「野村の魅力」を全観客に納得させる挿話ではない(それは不可能事である)。そうではなくて、「野村の魅力」を否定する視角を導入し、それを経た上で再信認を与えるという「手続き」である。
映画の娯楽性とは、多分に映画と観客の「契約」によって保証される性質のものだ。その契約の成立と維持に与るのが、ここで云う手続きの遵守である。往々にして観客とは然るべき手続きを経ない映画を見棄てることに躊躇を持たない人種なのだ。しかし、これらは、映画が「たかが娯楽」である限りにおいて該当する記述でしかない。
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