[コメント] ブラック・スワン(2010/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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バレエ・スリラーという不思議な未開拓ジャンルへの挑戦でありながら、緊張感に満ち溢れた展開で最後までグイグイ引き込まれました。クライマックス。万雷の拍手とスポットライトに包まれているあの恍惚感は映画館の大スクリーンと大音響の賜物であり、それだけに本作は「必ず劇場で観るべき映画」だと思います。
ありがとう、ダーレン!
ダーレン・アロノフスキー監督の作品でいえば、『レスラー』で語ってみせた“表現者の求道”というテーマを『レクイエム・フォー・ドリーム』的な映像アプローチで語り直した、という感じでしょうか?『レスラー』のミッキー・ロークよろしく、『ブラックスワン』のナタリー・ポートマンも実人生と作中のキャラクター設定が完全にシンクロしてますよね。
それだけに、随所に彼女の実感が染み出ていて、一級品のエンタテインメント作品、ド級のスリラー、でありながら、一人の人間の切実な人生がきちんと描かれていると感じました。
主役に抜擢されたときの彼女の泣き顔。思わず抱きしめてやりたくなりましたよ。
さて、バレエといえば、一般の観客にはあまり馴染みのない高尚芸術(ですよね?)。 そして、その名は有名ですが詳細を知らない観客多数(のはず?)の「白鳥の湖」。これらをモチーフにするにあたり、前提となる概要説明は避けて通ることができず、これをストーリーラインの邪魔にならないようにどう消化するか、は脚本上の勘所でありますが、
本作では、
○ヴァンサン・カッセルが「言うまでもないことだが…」という前置きしたあと、カンパニーに作品概要をさりげなく説明する。
○クラブで素人の男性2名を登場させる。「白鳥の湖?名前は知ってるけど、内容は知らない」と言わせ、それに対してナタリーが説明する。
○リハーサルシーンをみせることで、クライマックスのもつ表現上の意味をそれとなく観客に説明しておく。
などの配慮がなされており、バレエに馴染みのない僕のようなボンクラでもその後の各場面で一体何が表現されているか、が理解できるようになっていました。
ありがとう、ダーレン!
さらに。『フラッシュダンス』のラストシーンをみたとき、「このダンス、いったい何がすごいわけ?」といった具合に肉体による芸術表現に対する素養がまったくない僕でナタリーの黒鳥ダンスの凄みは十分伝わりましたね。音楽、撮影、編集、はさることながら、ナタリーの顔!
デヴィ夫人かと思ったわ! あのロリ顔があそこまで…愕然としました。
その他、感銘を受けた箇所を思いつくままに。
<音楽> 全編にわたって鳴り響くオーケストラ。手持ちカメラで一見ドキュメンタリー風のざらつきを見せながら、BGMとしての音楽がこれだけ途切れない作品も珍しいですね。 時に流麗に、時に鈍く重く。それぞれの音楽が劇中のキャラクターの心情を増幅させるアンプとなり、観客の心を揺さぶる。まるで本物のバレエを観ているような感覚を観客に与えています。
<プロダクション> バレリーナとは常に“鏡”とともにきる人生ですが、作中ではこの“鏡”がプロダクションとして非常に効果的に配置および活用されています。鏡の中の自分が現実の自分とは違う仕草を見せ始める、というアクションが、主人公の精神バランスの異常が進行する様子をスリリングに演出しており、観ている最中、いつ鏡の中のナタリーが裏切り始めるかとハラハラし通し。
実にうまい。
<編集> うまい、といえば、編集が最高に巧い。『ソーシャル・ネットワーク』のように、 登場人物たちの会話劇をフラットな視点でカットバックすることで軽妙なテンポを生み出す、という類のテクニックではなく、ナタリーの視点を多重的に捉えることで、奥へ奥へと観客を誘うための演出。極度のクロースアップの多用と相まって、 自分が置かれている状況を俯瞰できないナタリーの精神状態を観客に追体験させています。
ダーレン、いつの間にか巨匠じみてきましたよね。 次回作も大変楽しみです。
追記1 ウィノナ・ライダーのケバ女ぶりに、泣けました。 タクシー運転手だったころの彼女が一番輝いていた…
追記2 オナニーしているところを母親に見られる という自身のトラウマ体験を蘇らせるシーンは まさしく鬼の所業。
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